街行く人と対話する

モスクワ市内で見られたストリートアート作品。

1990年にロシアロックのビクトル・ツォーイが他界した時、モスクワ・アルバート街 37 号棟の壁に「今日ビクトル・ツォーイが非業の死を遂げた」と誰かが書き、「ツォーイは生きている!」と誰かが応じた。こうして自由と追憶のシンボルである有名な壁がお目見えした。

また、一階から最上階まで有名な長篇小説『巨匠とマルガリータ』のイラストやお馴染みのフレーズが書き込まれた作家ミハイル・ブルガーコフの住居があった玄関口も、やはり象徴的なものとなった。

この二つの聖地が、1990年代の独特なストリートアート文化発祥の地となった。

若き芸術家たちは心の赴くままに、彼らの心を創作へと駆り立てたものを描いた。

パーベルは 14 歳の時に最初にツォーイの壁を目にして以来、描き続けている。

母国でパーヴェルが有名なストリートアーテ イ ストとなったのは、英紙『ガーディアン』と『デイリー・テレグラフ』に記事が載った最近のことだ。

外国メディアは、彼をイギリスのバンクシーになぞらええようとして「バンクスキ」という 呼び名 を考えついた。欧米で彼は「183」あるいは 「 パーシャ183」とも呼ばれている。 

彼はこう語る。「ロシアのストリートアートはシチュエーショニズムに端を発しているが、この現象がいつ始まったかははっきりしていない。、ロシアの芸術家、オレーグ・クリークによれば、すべては1910~ 20 年代に始まった。『俺たちの町を色絵具で塗ろう』という革命詩人、マヤコフスキーのマニフェストがあり、エセーニンは街角で詩を創った。もっと深く掘り下げるなら、革命芸術家たちが兵士らを運ぶ貨車に絵を描いた革命後の1919年を想起することができる」。 

ストリートアーテ イ ストの活動が芸術であるか否かの議論はあるが、パーベルは自分が創作活動に従事しているとみなしている。

彼は、芸術はいろんな解釈ができるものと言い、「ある私の友人は、食器を洗っていると皿についたケチャップがレーニンの横顔に見えたので、皿を洗うのをやめてそのままにしたそうだ。人それぞれの感受性をこそ芸術と呼べるのだと思う」と微笑みながら語った。

パーベルはまた、こう語る。「ストリートアートの使命は市井の人との対話。そのためには画廊は不要。自分の作品を見てくれる人たちからお金を取る人もいない。町の中でそうしたビジュアルな遊戯が生まれるわけです」。