特訓で秀才輩出

ロシアの教育観が日本とは根本的に違う。=PhotoXPress撮影

ロシアの教育観が日本とは根本的に違う。=PhotoXPress撮影

モスクワ大学付属アジア・アフリカ諸国大学(ISAA)の日本語科は、1956年に創設されて以来、ロシアの日本語教育の中核であり続けている。卒業生は新興財閥、官僚、外交官からジャーナリスト、有名作家ボリス・アクーニン氏まで多士済々。しかし、ここの大学事情は、日本のそれとはかけ離れている。

「昨年『ロシアNOW』 10 月号で、 アクーニン氏が、『ロシア人には日本人のような精神的マゾヒズムは希薄だ』と言っていましたね。日本人のマゾヒズムってなんですかね」

「うーん、本当はやりたくないことを一生やり続ける、ということじゃないでしょうか」

これは、3年生のクラス(日本史専攻)の授業での一コマ。私の質問に、女子学生ポリーナさんが見事な日本語で即答した。語学力もさることながら、ちゃんと自分の頭でものを考えている。彼女は今、日本の城郭に関する論文を執筆中だ。

同じクラスのビクトルさんは外務省志望で、既にロシアのニュース・サイトに日本の政治・経済、日露関係などについて論文を発表している。クールに物事の本質をつかんでいるのに感心させられる。

落ちこぼれる凡才も 

 こういう優等生がクラスごとに2、3人いる半面、授業についていけない学生も少なくない。カリキュラムの要求水準が高く、ハイレベルの学生に照準を合わせているためだ。

ISAAは、アジア、アフリカの政治、経済、文化を学ぶ外国語学部である。日本語科のスタッフは現在 20 名ほど。講座主任は言語学の専門家であるステラ・ブイコワさん。各学年とも、政治・経済、文学、歴史の3クラスに分かれ、各クラス 10 人以下。つまり、日本語履修者は全学で100人を超えない。月曜から土曜まで毎日、朝9時から夕方まで授業があり、宿題もかなり多い。

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日露で違う教育観

 肝心なのは、こういう見た目の制度以上に、ロシアの教育観が日本とは根本的に違うことだ。日本では初めから万人に共通の土俵を設定し、そのなかで同じルールで相撲をとらせる。その結果、厖大な数の労働力として組織されやすい中間レベルの人材が養成される。

ロシアでは逆に土俵は人間の適性、能力に応じて複数あるべきとの前提に立つ。かくしてロシアの教育システムは天才、秀才、その他の雑多な集団を生む。天才が生まれるのは結構だが、烏合の衆は、政府や企業にとっては組織、統率しにくい。そこでロシア伝来の強力な権力の出番となる。権力が自分に都合のいいように組織するのだ。権力が天才と無尽蔵の人的資源を使役する…。これでいいのかなあ、と思うこともあるが、まあ、こういう国なのだ。少なくともこれまでは。