「1960年代はソ連中が宇宙に憧れていました。宇宙産業で働くことは名誉であり誇りでした」。公開株式会社M.F.レシェトニョーフ名称『情報衛星システム(ISS)』の部門センター長、ウラジーミル・ハリマノビッチ氏はそう語る。同氏は、 47年前、ツポレフ記念航空大学を卒業したカザンからジェレズノゴルスクへやってきた。
当時は学生の2人に1人がそうした場所に憧れていた。ふつう秘密の軍事企業がある閉鎖都市へは秀才しか行けなかった。
町での暮らしにはいろんな制限がついてまわり、親戚や友人を呼ぶにも保安機関の特別の許可を得なくてはならなかった。「その手続きは今も同じです。最初のうちは毎回許可を求めるのが面倒ですが、すぐに慣れるものです」。ペレストロイカの直前にオムスクからジェレズノゴルスクへ移ってきた工場の技師エレーナ・プロスビーリナさんはそう語る。けれども、そうした不便よりもプラス面の方が多い。例えば、ジェレズノゴルスクでは、ふつうのソ連の都市では手に入らなかった様々な商品が一元的に供給されていた。
ソ連が崩壊した1990年代にジェレズノゴルスクは失速し、食料品の一元的な供給は止まり、人々は文字通り一夜にして資本主義の荒波に放り込まれた。
町の基幹企業であるISSも資金供与を大幅に断たれ、停滞の時代が訪れた。工場は、細々と軍事衛星の組み立てを続け、グロナス(グローバル・ナビゲーション・サテライト・システム)の元祖であるナビゲーション・システム『ウラガーン』の改良に携わっていた。8千人以上いた従業員もほぼ半分になり、多くの人が良い条件を求めて大都市へと去っていった。
技術者たちにようやく希望が見えてきたのは、宇宙プログラムの枠内で政府がグロナス創出へ資金を投入しはじめた2000年代である。
一年前、グロナスの24の衛星が完全に始動し、今ではアメリカのGPS(グローバル・ポジショニング・システム)の向こうを張っている。こうして、現在、ISSの年間取引高の3分の2は国家が保障しており、残りは民間からの受注による。
万事順調に思われるが、企業内の問題の解決に忙しかったISSは、前世紀末に衛星の需要が高まった重要な時機を逸してしまった。そのためロシアはほぼ 20 年事実上「蚊帳の外」に置かれ、同部門はアメリカの独り勝ちであった。
ISSにようやく国際的なオファーが寄せられるようになったのは2008年で、最初はイスラエルの会社が衛星AMOS–5を注文し、その後2009年にインドネシアの会社がテレコム装置Telcom–3を購入し、後にウクライナおよびカザフスタンとの間で契約が調印された。
「毎年私たちは4つないし5つの入札に参加して1つを落札しています。私たちにとって年に1件国際契約があれば十分です」。ウラジーミル・ハリマノビッチ氏はそう語る。
現在、同時に約 40 の衛星が製造されつつあるが、その中には、秘密の軍事装置もあれば連邦国営単一企業『宇宙通信』や『ガスプロム宇宙システム』といった国内企業のためのテレコムおよび測地用の衛星もある。
注文が増えるに伴ってISSの従業員の数も回復し、2005年には5千人、現在は8千5百人となった。しかもその多くは若者だ。カザン、トムスク、さらにはモスクワの航空大学の卒業生たちが、再びジェレズノゴルスクに惹きつけられている。
今回は理想主義のためではなくお金のために。そこでは駆け出しの技術者の給料が千ドルで、工学系大学の卒業生の平均給与の2倍に当たる。
衛星1基の価格は約1億5千万ドル、さらに打ち上げ代が5千万ドル、保険が 20 %。些細なミスを犯しただけでその全額が泡と消えてしまう。そのため、組み立ての各段階で入念なテストが繰り返される。
最も見応えがあるのは衛星の翼、すなわち太陽電池パネルを拡げるテストだ。「何度もチェックをしていろんな書類にサインをしてもらってからテストがようやく始まり、発注元の作業員はプロトコールの作成中にビデオカメラを廻します」。電気試験・電気設計担当の主任設計者セルゲイ・アペニコさんはそう説明する。
いよいよシステムが始動。蛇腹状に折り畳まれた太陽電池パネルが少しずつ開いていく。従業員たちは約 15 秒間、かたずをのんで見守る。一つ間違えば衛星は宇宙のゴミと化してしまうからだ。
ISSでは若き専門家を養成するシステムがソ連時代から受け継がれており、学生たちは4年を終えると企業にきて様々なポジションで2年働いて経験を積み(給与も全額もらえる)、その後に初めて卒業論文の公開審査を受ける。「ISSはすばらしい人材育成の場。できれば、それらの専門家の大部分を買収したいところです」。衛星製造関連のあるモスクワの企業の匿名希望の経営者は本紙記者にそう語る。
ジェレズノゴルスクは、若者たちの流入により活気を取り戻しはじめた。新しい団地もでき、工場の従業員が優遇住宅ローンで住居を購入できる。企業が利子の半分を負担してくれるのだ。
とはいえ、サービス分野は今だにお粗末で、周辺の村も含めて人口 10 万の町に、カフェがわずか数軒、レストラン、ナイトクラブ、映画館がそれぞれ一つあるだけだ。
ISSの社員クリスチーナ・ウスペンスカヤさんは、毎週、夫と車で 60 キロ離れたクラスノヤルスクまで出かけ、息抜きをして食料品を買い込むとのこと。そのほうがずっと安上がりだという。
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