=Lori/Legion Media撮影
ピョートル大帝の都市
リペツクは歴史のある街で、訪れる価値は十分にある。ブレジネフ時代に開発された灰色の住宅地を通り過ぎると、全く異なる都市に到達する。噴水、教会、公園、そして昔風の2階建てのタウンハウスが数多く存在する、風変わりな場所だ。タクシーの運転手は、最初にピョートル大帝広場に連れて行ってくれた。この時期の広場は、地元住民が新年のお祝いとして「ジェド・マロース(「厳寒お爺さん」と呼ばれるロシア版サンタクロース: 編集部注釈)」の服を着せたロシア皇帝の巨大な像が、圧倒的な存在感を発していた。
この地でピョートル大帝がこれほど親しまれているのは、決して偶然ではない。人々はピョートルをリペツクの創立者であるとみなしている。最初の冶金工場を設立したのも、有名なヘルス・リゾートを設立したのも、彼であった。この地域を旅したピョートル1世は、この街からそれほど離れていない所に膨大な鉄鉱の鉱床が存在することを知った。その少し後の1703年、同皇帝の命令により、ヴェルフネ・リペツク工場の建設作業が開始された。
ピョートル1世は、リポフカ川沿いに鉄工所を設けることの商業上の意義を心得ていた。第一に、ここには巨大な森林があり(木材は冶金プロセスに不可欠だ)、ピョートル大帝が創設した初の造船所が、より下流の部分に位置していたため、戦艦の建設従事者に簡単に資材を供給できたということだ。だが、18世紀末頃になると、ロシアは黒海北岸における勢力を強化し、新たな造船所をその地域に建造したため、結果としてドン川流域の造船技師が失業した。リペツクの船艦工場も間もなく荒廃し、閉鎖された。
ヘルス・リゾート
したがって、 硫酸ナトリウムを含む鉱泉が存在しなかったら、リペツクは片田舎の街として、その名はほとんど知られないままになっていただろう。治癒をもたらすこの水が発見された経緯について、ある伝説がある。鉄工所からそれほど離れていないところに、ある老婆とメイドが住んでいた。ある日、メイドが湧き水から水を汲んできて、沸騰させた。するとその水は、鍋の中でみるみるうちに黒に変色した。老婆は怖くなり、メイドが自分に毒を盛ろうとしているのだと思い込んだ。メイドは連行され、尋問されたが、ピョートル1世による介入がなければ、この話は全く異なる結末になっていたかもしれない。皇帝はその水を分析するように命じ、メイドは解放された。しばらくすると、この水には治癒成分が含まれていることが判明し、その結果リペツクにヘルス・スパが開かれた。19世紀になると、リペツクはペテルブルクの上流階級の間で最も人気の行き先のひとつとなった。
現在、かつてのスパの跡地は、鉱泉の湧き水だけでなく、ロシア最古の温泉、リペツク・サナトリウムがあるニジニ公園になっている。
2時間で見学するには
この街で最も古い通りのレーニン通り(かつてのドボルヤンスカヤ通り)から出発し、ソボルナヤ広場に歩いて渡り、イタリア人建築家のトンマゾ・アドリーニが設計したフリストロジェストヴェンスキー大聖堂を見て回る。ペトロフスキー丘のカスケード噴水の側にある101段の階段を下る前に、アイスクリームを買うのもいいだろう。下に着くと、水面下から泡を出しながら水が湧き出ているコムソモルスキーの池が待っている。その後、道を横切ってニジニ公園の中を散歩する。公園の入り口付近で、勇気のある方は、塩分が強く、金属の後味が残る未処理の湧き水を味見することもできる。だが、私は「ロシンカ」あるいは「リペツキ・ビュベート」ブランドのミネラルウォーターを買うよう勧められた。これらの水にも健康に良いミネラルがたくさん含まれており、しかも飲み心地はこちらの方がずっと良いからだ。
時間とエネルギーが残っていたら、河岸に沿って歩き、ノヴォリペツキ冶金工場がそびえ立つ、街のより近代的な部分を散策してみるのもいいだろう。
ウイークエンドに訪れるなら
例えば、リペツクから電車で1時間半の所にある、エレツの古い街を訪れることができる。この街の古い建築物の保存状態は素晴らしい。あるいは、リペツクからわずか80キロのザドンスクに行けば、数々の古い修道院を見ることもできる。
レフ・トルストイが死去前の数日を過ごしたアスターポヴォ(今日は「レフ・トルストイ」という地名で呼ばれている)を訪れてみるのもいいだろう。ここには作家トルストイに関する貴重な博物館があり、蓄音機のレコードに残された彼の肉声を聞きながら、展示を見て回ることができる。
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