「新しい」プーチンの外交政策:『西側が心配することは何もない』

=ナターリア・ミハイレンコ

=ナターリア・ミハイレンコ

ウラジーミル・プーチン氏の新たな大統領任期に、ロシアの外交はどうなるのか。このテーマに関する議論は、内外のマスコミで選挙のずっと前から既に始まっていた。その際、なぜか「新しい」プーチンのもとでは、ロシアと西側諸国との関係は悪化するだろう、というのが支配的な見解だった。現在、英国のガーディアン紙もこの見解をとり、「国際舞台でロシアは、自国の戦略的利益の追求と米国を刺激する試みを並存させ、否定的な役割を演じ続けるだろう」と書いている。この記事の筆者であるリュック・ハーディング氏は、同様の暗い予測と並べて、新プーチン支配に「ブレジネフ的」性格を指摘している。

反体制左派のリーダーであるセルゲイ・ウダリツォフ氏は、その15日間の収監ゆえに、西側各紙によって「良心の囚人」と呼ばれたが、彼がガーディアン紙と正反対の見解をとっているのは興味深い。ウダリツォフ氏は「文学ロシア」紙のインタビューで、「プーチンはもっとも親西側の政治家だ」と述べた。「彼はキューバとベトナムの軍事基地を閉鎖した。2000年代の初めにバルト沿岸共和国がNATOに加盟し、その勢力が旧ソ連領に拡大するのを許した。彼はロシアの国庫を米国の有価証券に貯えている」。

ロシアのナショナリストにとっては実に忌々しいことだろうが、事実から見て、ウダリツォフ氏の見解は正しい。2001年に行われた中央アジアへの米軍基地配置への同意も、アフガニスタンの対「タリバン」戦における西側諸国との協力も、西側に対するプーチン氏の友好的態度の表れと見ることができる。

プーチン外交の「反西側的」傾向という、この執拗に残り続ける印象は、いったいどこからくるのだろう。「どうやら、メディア自身が作りあげた神話を維持している状況があるようだ」とスタニスラフ・ベリコフスキー氏は考える。ベリコフスキー氏は、国民民主主義と呼ばれる立場からプーチン批判を展開している、ロシアの著名な社会評論家・政治学者である。「プーチン氏は決してナショナリストなどではない。彼のもとでロシアは最終的に、世界大国から地域的な、しかも非攻撃的な政治的野心しか持たない穏和な国家になったのだ。だが、西側のマスコミが何年も言い続けているため、人々の中にプーチンの「攻撃性」という意識下の確信が生じているのだ」。

間もなく退任するドミトリー・メドヴェージェフ大統領が、プーチン氏ほど西側に対する友好的な外交決定の数を誇れない、というのは興味深い。メドヴェージェフ大統領の主要な成果は、新戦略兵器削減条約(新START)締結につながった対米関係の「再起動」だが、これは同時に、かつてはロシアを脅威と見ていた米国のオバマ大統領の成果でもあるのだ。一方、プーチン氏は大統領でなかった時でさえ、いくつかの重要な外交的主導権を発揮することができた。その一つが対ポーランド関係の改善だ。スターリンの指示によってカチンの森で銃殺されたポーランド人捕虜の記念碑を、2010年にロシアとポーランドの首相が共に訪れたことから、その後の両国の関係は改善へと向かった。

「そのとき認められたポーランドとロシアの関係改善は、プーチン氏自身の構想によるものだと深く確信している」と、ポーランドの最有力紙「選挙新聞」(Gazeta Wybjrcza)のワツラフ・ラジヴィノヴィチ記者は考える。「プーチン首相とポーランドのドナルド・トゥスカ首相の会見直後に、ポーランドのレフ・カチンスキ大統領が乗った飛行機の惨事が起こったとき、まさにプーチン首相自身がこの災厄の処理に当たったのだ」。必ずしも最も友好的とは言えないパートナーにとっての危機の最中、その援助に駆けつけ、それによって関係を改善するというのは、おおむねプーチン流のスタイルだ。対ポーランドでは、それは大統領専用機事故だった。対日局面では福島原発事故だった。原発事故のとき、プーチン首相は即座に、ロシアは日本のエネルギー不足をガスで補填できると提案した。

プーチン氏を批判する人たちは、これらの事実に何を対置できるだろうか。せいぜいKGBでのプーチン氏の過去や、ブレジネフやスターリンとの類似性の指摘くらいだろう。リュック・ハーディン氏も選挙について、プーチン氏の「ブレジネフ的側面」を書いた。だが、歴史家にも、また単に年上の世代の人たちにも尋ねたいことがある。「あなたたちは、かつてスターリンやブレジネフが勝った選挙を、たとえ一つでも思い出せますか」という問いだ。そんなものはなかった。それがなぜか。それは、彼らが自分たちの候補者を全国民の前に推薦するというような手順がなかったからだ。国民はスターリンやブレジネフに評価を下すことができなかった。一堂に会した灰色の党官僚集団がチェキスト(秘密警察)の監視のもとで、彼らに賛成の手を挙げたのだ。それゆえ、ブレジネフやスターリンには、西側の新聞各紙を原始主義やショーマン的性格でひどく刺激する「プーチン式」選挙運動は必要なかった。仕方があるまい。最も賢明とは言えないショーが、今日の民主主義の一要素なのだ。ブレジネフ時代のソ連の公式プロパガンダは、米国選挙をその「原始主義」ゆえに嘲笑していた。だが、一般の人々は、この「原始主義」をひそかに羨んでいた。実際、プーチン氏は断じて、スターリンやブレジネフではない。そうした類推は、相変わらずこうしたおなじみの人物たちのいないロシアが考えられない記者らのプロ意識を裏付けるものではない。新しい「プーチンのロシア」は、西側との衝突を求めたりはしないだろう。新しい「プーチンの」ロシアはただ、急進的でない野党をもち、「革命的選択肢」をもたず、EUや米国からトルコ、アラブ世界、中国にいたる隣国との正常な関係を保つ、普通の退屈な国になりたいと望んでいるだけだ。西側との関係が壊れるとしたら、それは西側がロシアに最も「革命的な選択肢」を押しつける場合だけだろう。