ヒップスター革命:トレンドそれともブランド?

=タス通信撮影

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ロシアでは未だに誰も12月24日にモスクワのサハロフ通りで起きたことがよく呑み込めていない。クリスマスや正月といった祝日ならびに12月の選挙の公正さが疑問視された後に盛んに繰り広げられた政治キャンペーンのために状況の分析が妨げられた形だ。 公式資料よればに5万人、宇宙から観測した測地学者たちの評価によれば15万人がモスクワの一所に集ったとされるが、まあ10万人としておいて、より注意深く事の真相に迫ってみよう。

サハロフ通りの群衆のほぼ70%がいわゆる「ノートブックを持つ人々」で占められていたというのは稀有な現象と言える。彼らはこれまで選挙に参加することもごく稀で、政治討論や何かの抗議デモに加わることも決してなかった。

今回も彼らは「プーチン体制」の打倒を徒に訴える野党の指導者たちの声には耳を傾けず、左派にも右派にも与しなかった。彼らには政治はどうでもよかった。彼らは、大きなカラフルな風船や辛辣で挑戦的なスローガンの記されたプラカードを手にし、歌を歌いダンスを踊り、積極的に知り合いとなり、デモが終わると三々五々互いの家へ遊びに行った。

しかし、何より驚くべきなのは、ロシアの現代史ではきわめて珍しく、そうした大きな集会に際してデモ参加者が一人も殴打されず追い払われず逮捕されなかったことだ。10万人のうち一人も。これはまさにギネスブックものだ。

現在「陰謀理論」の信奉者たちはブログにこう記している。「失墜した人気を挽回するためにクレムリンが警察にそうした指令を出したのさ」。

オプチミストたちはそれに異議を唱える。「ナンセンス! みんなが礼節を守れば逮捕する理由はないというそれだけのこと」。

この出来事の翌日、知り合いの25歳のモスクワ大学ジャーナリスト学部の女子学生が私のところへお茶を飲みに寄った。

「ヒップスター革命万歳!」と彼女は入ってくるなり歓声を上げた。

「あなたたちはヒップスターでアンチ・プーチンってわけ?」私はにやりとする。

「私たちはアンチ・プーチンじゃありません! 公正な選挙を求めているんです。誤魔化されるのはもううんざりなので態度で示そうとしたんです」

「でも『ヒップスター革命』って言うとどこかちぐはぐに聞えない? ファッションとしての革命? 若者の溜まり場としてのデモ? 意識された運動もリーダーもイデオロギーもないわけ?」

「イデオロギーなんて要らないのよ! 私たちはあたりまえに働いてあたりまえに遊ぶのを邪魔されたくないだけなの」

彼らは思う存分遊んでいる。彼らの多くが一年に3~4ヶ月をインド、ヴェトナム、タイ、バリで過ごし、ゴアのディスコでスペース・ディスコに興じ、エキゾチックな島々のビーチの太陽の下でのんびりし、モスクワの流行雑誌の記事の執筆、マーケティングのコンサルティング、ウェブサイトの立ち上げ、あるいは、コンピュータソフトの作成などによって「オンライン」で稼いでいる。彼らは、歴史や科学や世界芸術には暗くとも、文学や音楽やファッションやデザインや写真や料理の最近のトレンドにはたいへん明るい。手で触れられる物質的なものは生産しないが、その代わり「メディア・コンテンツ」を創造する。モスクワとサンクトペテルブルグ以外ではまずヒップスターたちを見かけないのもまさにそのためで、マスメディアはすべて首都で作られており、トレンドやブランドで稼げるのもそこだけなのだ。

インターネットでは彼らは水を得た魚である。ただその水は海水ではなくむしろ水槽のそれ。というのも、ネットへ潜るために彼らにはタイのビーチでなければせめてWi-Fiつきの首都のおしゃれなカフェが欠かせないのだから。

欧米への旅行は彼らには概して人気がない。「ヒップスターたちは西側の文明の袋小路」だから。彼らは「西側の」を強調している。その息絶えたポストモダニズムとともに。これについてはパラニュークやベグベデルが書き、ラース・フォン・トリアーやアルモドーバルが映画を撮っている。旅行について言えば、今の彼らのトレンドはアジアだ。

日本も人気がある。とくに「アニメ好き」に。彼らは自分で日本語を学び『ゲゲゲの鬼太郎』あるいは『ガンダム』をみんなで翻訳してそれらのロシア語版を交流サイトに載せている。けれども、日本へはインドやタイのようにそう簡単には行けない。それで、彼らの頭の中で日本は今も美しいお伽話のレベルに留まっている。お伽話のまま。自分で翻訳したマンガやアニメの中で彼らはしばしば分からない部分を「勝手に」拵えている。

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ヒップスターたちは相矛盾する引用によって会話をしており自分の考えを持つことは稀だ。大事なのは「ルックス」。モールスキン、一眼レフカメラ、スパッツ、度なし眼鏡、スニーカー、プリントTシャツ、iPhoneなどは、「何ものにも属したくない」人の必須アイテムなのだ。

「なんで度のない眼鏡なんてかけてるんだい? きみは眼がいいはずなのに!」

「おまえはすっかりおじさんだな。眼鏡はずっと前からファッションの一部なんだよ」

そう、私にはそれがよく分からなかった。私はもう30年ほど眼鏡をかけているが、それは、若い頃に学生寮の暗い照明の部屋で漢字を必死に暗記したおかげですっかり眼が悪くなってしまったためなのだ。

ヒップスターたちはとても多くの人を苛立たせている。

「彼らは何も作り出すことができない。社会発展の完全な行き止まり!」と40歳のブロガーはフェイスブックで憤慨する。

「放っておきなさい! 彼らの前には『お願い、私を殺して!』なんていう標語の『エモ』世代があったけれど、そっちのほうがいいって言うの? 彼らはまだ本も読んでいるし溜まり場でシンナーの匂いもしないしずっとまし!」との反論。

「言い争っても栓ないこと。いつの時代も若者のサブカルチャーは『自分』というものが無いといって批判されてきた。彼らも同じ。大きくなり賢くなれば一人前になるよ…」

「私たちは革命には反対」。サハロフ通りで群衆に配られた腕章の多くにそんな文字が記されていた。たしかに彼らにとって暴力はまったくいかさない。彼らは、人々が戦車に立ち向かい軍人たちの銃弾に斃れた1993年のホワイトハウス(ロシア連邦最高会議ビル)襲撃の再現を欲していない。彼らは、70年代のヒッピーたちと同様、自分の親たちが稼いだ金で安逸を貪っており、邪魔をされたくないのだ。彼らは自分たちの好きなジャック・ケルアックが決してデモに参加しなかったとしてもかまわない。彼らにとってそれは示威行動ではなく、ディスコ、ポディウム、若者のフェスティバルやピクニックの中間のようなもので、一所にたくさん集まれば集まるほどそれだけ愉快なのだ。

けれども、一所に12万人といえばみすみす看過できない。もしかするとこれはついに誕生しつつあるロシアの中間層なのか? この国の当局はついに生じている事の本質を悟るのだろうか?

答えはいずれ分かる…。

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