米例外主義は多極世界に適応できるのか

アレクセイ・ヨルスチ

アレクセイ・ヨルスチ

アメリカの例外主義は、グローバリゼーションに適応するのがますます難しくなっている。その一方で、新しい多極世界は、旧来のアプローチを見直し、新たなそれを模索しなければならなくなっている。

 アメリカの例外主義は、イデオロギーの支柱の一つであり、外交の主な伝統の一つだが、多極世界に適合するのは極めて難しい。例外主義こそが、アメリカが多極世界の現実を受け入れられない理由であり、自国の主導権に対する信奉、そして自国の国際関係への“関与”に対する信奉をやめられない理由だと言える。

 

アメリカこそが最高、最先端 

 例外主義とは、アメリカが最高かつ最先端であって、進歩的かつ“人類に優しい”社会政治システムを構築したという仮定だ。それは、最高の統治システム、人類そして市民の自由を守るためのシステム、また中心に個人、その自由、権利、利益を置くシステムである。

 歴史的には、18世紀末から19世紀初めの条件のもとでは、実際にその通りだった。これによって例外主義が、その後のアメリカの孤立主義的政策(20世紀半ばまで)のイデオロギー基盤となった。

 というのは、イデオロギー面でアメリカに非友好的なヨーロッパ帝国が世界を支配した時、例外的なアメリカのシステムやその生活様式を維持することが難しくなったからだ。

 

例外主義が外交に現れると 

 アメリカが国際的な外交政策を展開するようになると、例外主義は、アメリカの主導権に対する信奉のイデオロギー的基盤となった。アメリカが、多極世界の一中心国として、国際社会に対等な立場で参加した例がないのは当然だ。

 アメリカは18世紀、19世紀、20世紀前半には、自分に“無関係な”国際社会には参加しないという姿勢を貫いていたが、20世紀後半から21世紀初めには、アメリカ独自のアプローチで国際社会をつくるという姿勢に方向転換した。

 この理由も同じ例外主義だ。例外主義は対等な対話を許さず、アメリカを一中心国に貶めることを許さない。そして、多極世界のシステムに同等の立場で参加して、世界の政治、経済その他の問題を決定し、議題を決め、多数の当事者が国際社会を創設し、運営していくことを許容しないのだ。自分以外の国は、世界最高のシステムと世界最新の生活様式を兼ね備えていない、世界的価値の普及の先駆けでもない。そんな国が主導できるわけがない、と。

 だから、例外主義は、アメリカが何らかの国際プロセスにおいて主導できる、あるいはそのプロセスに一切参加しないでいられる理由である。対等な立場での参加という選択肢は存在しない。

 また、現在の世界情勢では、例外主義はアメリカを、民主主義を広め、民主主義国家とそれ以外に世界のすべての国々を二分するように駆り立てている。アメリカの外交政策において、非民主主義国家の役割と地位は昔から低い。

 

多極世界との根本的矛盾 

 しかしながら問題は、主導権に対する信奉も、イデオロギー的な外交政策も、多極世界には合わないということだ。アメリカは今や、ロシア、中国、インド、その他の国の助けなしには、いわんやそれらの国の意見を無視しては、重要な国益を効率的に実現することはできない。そんな状況にあって、自分が世界を導くという主導権だけが、唯一受け入れ可能な外交形態であり、孤立主義に代わり得る唯一の選択肢であるという考え方は――つまり、イデオロギー的なメシア信仰は――もはや逆効果になりつつある。

 これこそが、ロシアや中国などの非西側勢力とアメリカの関係における問題の最大の原因であり、アメリカの外交判断力の深刻な危機の原因でもある。だから、ここでも主たる原因はやはり、例外主義だということになる。例外主義がアメリカの外交哲学の基礎であり続けている間は、アメリカと、その主導権と価値観の普遍 性を認めない他の国々との間の問題が、解決することはない。

 だから、アメリカが、少なくとも今のところ、例外主義のコンセプトから抜けられないでいる状況にこそ問題があるのだ。アメリカやアメリカ人のアイデンティティにおいて、例外主義が核をなしているため、それを棄てれば、アメリカはアメリカを失ってしまう。

 ここにどのような打開策があるのかは、今のところわからない。遅かれ早かれ、アメリカはこれまでと同様、自国を例外的な国家と見なせるような何かを見つけなければいけなくなりそうだ。主導権と孤立主義と対等な協力関係のはざまに――。だが、この変化には時間が必要だし、容易なことではない。

 

ロシア、中国、日本、インドの例外主義は単なる文化的独自性 

 アメリカ以外の国の例外主義についていえば、それは、あからさまにイデオロギー的性格を帯び、実際独自のイデオロギーを核としているアメリカのそれとは、根本的に異なる。ロシア、中国、日本、インドの例外主義は、文化的独自性に存し、単に他とは異なるというだけだ。決して自分たちを最高で最先端と特別視するものではない。

 他のすべての国の“例外主義”が、自国の発展モデルを他国に押し付けようとしない、独自性を強調するだけのものだとしたら、アメリカのそれは逆に、同国の別のイデオロギー的支柱である普遍主義と不可分だ。その普遍主義によると、アメリカは、自国のみならず世界の価値観を持つ国である。なぜなら、アメリカの例外的性格は、この国が最高であらゆるシステムに適応できるものを最初に創った国だという点に存するからだ。

 しかし、他の国の例外主義は、互いに受け入れることができるし、新たに生じた多極主義ともよく合っている。アメリカ以外のどの国も、自国が最高で最先端だとは主張していない。

 

ドミトリー・ススロフ、ロシア国立高等経済学院・欧州国際総合研究センター所長

Russia Direct」より転載

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