公共の地下宮殿

モスクワ地下鉄80周年
モスクワの地下鉄は世界で最も美しいとされる。地下宮殿になぞらえられることもあり、エクスカーションも行われ、スポルチーヴナヤ駅には、地下鉄博物館も。現在、首都の地下鉄は12路線、約200駅を数え、その数はさらに増えている。今年だけでも7つの新駅が開業する一方、44駅は文化遺産として位置づけられている。これらすべては、1935年5月15日のソコリニキ―パルク・クリトゥールィ区間の建設から始まった。 今年でモスクワ地下鉄が80周年を迎えました。市民生活に、独ソ戦に、はたまた地下都市の伝説に緊密に結びついている、そのユニークな歴史をご紹介します。

 80年前の1935年5月15日、モスクワ地下鉄の最初の路線が正式にお披露目された。ソコリニキ駅からパルク・クリトゥールィ(文化公園)駅までの路線の総延長はわずか11キロで、13駅で構成されていた。モスクワ地下鉄はこのような控えめな始まりから、毎日900万人という世界有数の輸送量を誇る地下鉄システムへと成長した。

 列車は、英語の案内がついている多くの接続駅を含む12路線、総延長327.5キロを走行する。列車は駅に平均して2分に1本到着するため、乗り遅れを心配する必要はない。

 モスクワ地下鉄はただ旅客輸送機能を果たしているだけではない。多くの歴史ある駅には豪華な装飾が施されており、世界でもっとも美しい地下鉄システムと考えられている。その荘厳さに驚く人も多い。多くの利用者がコムソモーリスカヤ駅やノヴォスロボーツカヤ(新スロボダ)駅などの大きな駅を、地下宮殿のようだと評する。地下鉄めぐりのツアーは観光客に人気がある。モスクワ地下鉄には博物館まである。スポルチーヴナヤ駅にある地下鉄博物館だ。

モスクワ地下鉄の最初の2路線

発端

 地下鉄建設のアイデアは1875年に遡る。だが、さまざまな理由により、当時は机上のプランに終わった。その理由の一つは、路面電車のロビーの圧力だ。
 1930年代初めに再び地下鉄建設の案が浮上したが、技師達が口をそろえて言うには、当地の自然条件は不向きだということだった。

 建築史が専門のナタリア・ドゥシキナ教授は、モスクワ地下鉄の主要な建設者の一人、アレクセイ・ドゥシキンの孫。その彼女によると、「ロンドン、パリ、ベルリンの技師達がコンサルタントとしてモスクワに招かれたが、彼らは、当地の地盤は工事が非常に難しく、よって地下鉄建設は不可能と断言した。だが、ソ連の技師、水文地質学者、建築家らのおかげで、地下鉄のみならず、巨大な地下空間のシステムが創り出されることになった。本物の地下都市に本物の広場、通りが築かれ、いざという場合は首都機能を代替できることになった」

最初の路線の試験運行
イワン・シャギン/ロシア通信撮影
最初の乗客となったのは地下鉄建設者
イワン・シャギン/ロシア通信撮影
 「私の建築信条はクロポトキンスカヤ駅。これをつくるために、我々はエジプトの地下建築の歴史を学ばねばならなかった。ピラミッドの地下迷宮にある油性塗料で彩られた柱列の上部は、構造モデルとして使われた。それは必要な機能的現実を反映している。アフトザヴォーツカヤ(自動車工場)駅は一気に建設された駅であり、大好きである。これは構造の本質、またロシアの教会のような作業形態の純粋さを明白に表現している」


アレクセイ・ドゥシキン
モスクワ地下鉄の建築家
クロポトキンスカヤ駅

地下の都市建設

 モスクワ地下鉄は当初は、二つのタイプの駅があった。一つは、深く掘られた、丸天井をもつタイプで、イワン・フォミンが設計したクラスヌイ・ヴォロータ(赤門)駅がその典型。もう一つはそれほど深くなくて、円柱を設置できたタイプ。
クラスヌィエ・ヴォロタ駅、ソコーリニチェスカヤ路線(赤)
タス通信撮影
クラスノセリスカヤ駅、ソコリニチェスカヤ路線(赤)
タス通信撮影
 この分野で革命的建築家と讃えられるのが、アレクセイ・ドゥシキンで、単に多くの駅を建設したばかりでなく、深くて円柱を備えた、世界初の駅も造った。これがマヤコフスカヤ駅だ。

 孫のナタリアさんによると、地下鉄75周年に発表された「駅ランキング」で、ドゥシキンが造った駅――クロポトキンスカヤ、マヤコフスカヤ、プローシャジ・レヴォリューツィ(革命広場)――が上位を占めているという。ドゥシキンこそは、「モスクワ地下鉄建設の創始者の一人であり、地下での建設作業の原則を編み出した」とナタリアさん。

 その原則のなかでも重要なのが、設計のポリシーを明瞭に表現することと、地下の建築物における照明の重要さだという。クロポトキンスカヤ駅では、光源そのものは隠されており、空間全体にやわらかな光を投げかけていて、宮殿風の円柱の縦列がふんわり浮いているような効果を醸し出す。マヤコフスカヤ駅では、ドゥシキンは、彼自身の表現によると、駅の丸天井にモザイク画を描いたが、それを見渡せる「のぞきレンズ」を作った。

 また彼は、様々な分野の芸術を最新のテクノロジーと組み合わせるパイオニアでもあった。駅に初めて、彫刻を設置し(プローシャジ・レヴォリューツィ駅)、着色ガラスによるモザイク画を飾ったのは(マヤコフスカヤ駅)、彼である。さらに、仕上げ用の新素材(例えば、マヤコスフカヤ駅の研磨した鋼板)を最初に利用した。戦後には、ノヴォスロボーツカヤ駅にアルミニウムを使っているし、地下の建築に初めてステンドグラスを用いたのも彼。

 1943年には、花崗岩を初めて使っているが(アフトザヴォーツカヤ駅)、これは、床に敷き詰める素材が堅牢であることの重要さを強調したものである(これ以前はたいてい、アスファルトかタイルが使用されていた)。



主な"展示品"

 地下鉄が地下宮殿にたとえられるのは故なきことではない。ソ連時代に造られた駅の装飾には、新国家体制のプロパガンダ色が強いにもかかわらず、その多くは効果的なアンサンブルとなった。

マヤコフスカヤ駅

 その点、モスクワっ子が最も愛する駅の一つであるマヤコフスカヤ駅を素通りするわけにはいかない。

 ここのモザイクは、ソ連を代表する画家の一人、アレクサンドル・デイネカの下絵による。モザイクは、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の工房で制作され、その素材となった着色ガラスは、ロシア革命の前から保管されていた。

 「デネイカは、この駅の天井に、事実上、ソ連初の一群のモチーフを創り出した。それは、新生活を送る人間とその物語――つまり、巨大工場、コンバインを運転する女性、ピオネール、スポーツ選手、休息、母性愛、花咲く庭園、パラシュートと飛行機…――といったものだった」。こう説明するのは、芸術学者で、国立芸術学研究所の職員であるタチアーナ・ユドケヴィチさん。「1939年、マヤコフスカヤ駅の模型は、ニューヨーク万国博覧会に出品されたが、そのために、わざわざもう一組の天井のモザイク画が制作された。夜空に飛行機とクレムリンの星が浮かび上がるというもの。このプロジェクトはグランプリを獲得した」

プローシャジ・レヴォリューツィ駅

 しかし、仰向いて天井ばかり眺めるのではなく、別の角度から地下鉄を見ることもできる。プローシャジ・レヴォリューツィ駅のプラットホームを、"栄光の並木道"を歩むように散策してみよう。この駅では、円柱の脇に、マトヴェイ・マニゼルをはじめとする彫刻家たちが、ブロンズのソ連市民達を配置した。両親もいれば、ピオネールも、スポーツ選手もいる。赤軍兵士も水兵も学生も農民もいる。犬を連れた国境警備兵までいるが、その鼻と脚はさんざん撫でられて金色に光っている。モスクワ博物館のガイド、アンナ・ルディナさんは、この光った鼻は、モスクワ地下鉄の主な迷信と関係があると説明してくれた。「犬の鼻を撫でると、何でも物事が上手くいくとされている。ところで、その近くに、雄鶏とその飼育者の女性の銅像があり、そっちは触ると不幸があると言われている。でも、その鶏も、たくさんの人が触って、ピカピカだが」

戦時下の地下鉄

 戦時下の地下鉄は、改めてその「第二の都市」ともいうべき地位を裏付けた(閉鎖されたのは、1941年10月16日のパニックに際してのみ。この日、ソ連の首都疎開に関する法令が出た)。
 地下鉄には、防空壕だけでなく、産院まであり、戦争中に217人の新しい生命が誕生している。

 しかも、ドイツ軍による首都占領の危機が去ると、新駅の建設が始まった。戦時中に開業したのは7駅で、そのなかには、アフトアヴォーツカヤ駅とノヴォクズネツカヤ駅が含まれてる。前者は、円柱の立ち並ぶ洗練された建築で、ドゥシキンは自身の最良の作品の一つと考えていた。後者は、イワン・タラノフとナジェージダ・ブイコワの設計による。中央ホールのモザイク画だけでなく、デイネカの下絵による、銃後の生活を題材としたものも見物だ。エスカレーターを上ると、モスクワ地下鉄初のタイプのロビーを目にすることができる。丸天井をもつ円形の建物だ(これは、ウラジーミル・ゲリフレイフとイーゴリ・ロジン率いる設計グループが考案した)。


戦時下のマヤコフスカヤ駅
亜像提供:ロシア通信

事実と伝説

 モスクワ地下鉄の安全システムと切り離せないのが、防空壕といわゆる「メトロ2」。これは政府の軍事用の支線で、1990年代初めに雑誌「アガニョーク」のライター達が記事にして以来、この名が定着した。一つの路線はヴヌコヴォ空港に、もう一つはスターリンの別荘があったクンツェヴォ に至るという。

 「とはいえ、このメトロ2は噂以外はほとんど何も知られていない」。アンナさんは釘を刺す。「なるほど、防空壕については、スターリンはいくつか持っていた。もっともその大部分は閉鎖されてしまったので、我々は知らないけれども、イズマイロヴォ駅にあるそれは、『スターリンの防空壕』の名で博物館に改築されている」

イズマイロヴォの地下シェルター
タス通信撮影
タガンカの地下シェルター
タス通信撮影

原稿:ダリヤ・クルジュコワ。 編集:アリスター・ギル。
デザイン・レイアウト:ダリヤ・ドニナ、クセニヤ・イサエワ。
画像提供:タス通信、ロシア通信、 ageytomesh.ru

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