ロシアNOW

"地球の屋根"の美とシロクマ
北極探検日記

タチアナ・ポスペロワさんはキャリアウーマンで、某企業の最高執行責任者にして研究員だが、このほど北極旅行を敢行し、極地で受けた印象を日記に記した。ロシアNOWはその抜粋をご紹介する。

象徴的な名前の列車「北極号」が私達をモスクワからムルマンスクまで運ぶ。車窓の向こうには、カレリアの湖が点在している。そして、前途には遥かなる航海が控えているのだ。これまで北極点に到達したのは、世界中を見渡しても1万8千人未満にすぎず、間もなく私はそのうちの一人になろうとしている。

タチアナ・ポスペロワ
筆者

1日目、ムルマンスク

 この都市が私達を出迎えてくれたのは、どことなく無愛想で殺風景な駅でだった。ランプ(傾斜路)や手すりが、付いてて当然の場所にもないので、皆、荷物を背負って、やっとこさっと運ばねばならなかった。

 ちなみに最近ムルマンスクには、近郊のテリベルカ村を訪れるためにやって来る人がいる。ここで、アンドレイ ・ズビャギンツェフ監督のスキャンダラスな映画「裁かれるは善人のみ 」(ロシア語タイトル「レビヤタン(リヴァイアサン)」が撮影された。

 (この映画は、ゴールデングローブ賞の外国語映画賞を受賞するなど海外で高い評価を受けた一方、あまりにも厭世的で、ロシアの現実を暗く描きすぎているなどとして一部に憤懣をも呼び起こした――編集部注)。

 地元住民は、旅行者がやって来るのは歓迎だが、映画ほど現実は絶望的じゃないよ、と言う。

2日目、原子力砕氷船
「戦勝50周年記念号」

 我々が乗る船には、「戦勝50周年記念号」という誇り高い名が付いている。これはロシアの「アルクチカ」級原子力砕氷船のうちの1隻で、アルクチカ号は1977年に、水上艦としては初めて北極点へ到達している。砕氷船はアメリカ、カナダ、日本、中国などにもあるが、北極の条件下で原子力を利用しているのはロシアだけ。船の原子炉は、特殊な機関室で管理されている。

 この砕氷船の稼動期間は30年。予算見積もりには、当初からその解体処理費用も見込まれており、放射性廃棄物の処理と同等の条件が設定されていた。言ってみれば我々は、浮動式原子力発電所に乗って航海するようなものだ。
 私はイギリスの女流作家と同室になった。いささか奇矯な女性で、こういう旅をする覚悟はあまりできてないみたいだ。ところが、船長は彼女に一目ぼれしてしまった。

 彼女によると、将来書く長編の題名は「堕ちた熟女のアバンチュール」となるんだとか。「自伝的な本なの」と彼女は付け加えた。

 やはりイギリス女性で極地冒険家であるフェリシティ・アシュトンも、この砕氷船に乗り合わせていた。2012年に彼女は、スキーだけでの南極大陸単独横断に成功する世界初の快挙を成し遂げた。また彼女の指導のもと、女性による国際南極探検隊も組織されている。

3日目、バレンツ海、北緯72

 最初の日はずっと海で過ごしたので、皆、自分の仕事にいそしんでいた。船員達は時々ちらと姿を現すだけ。でも、その顔つきから、彼らがどこから来て、どこへ何のために行くのかはっきり知っているのが分かる。
 群島ゼムリャ・フランツァ=ヨシファまでは約500海里だ(国際海里は 1852 m で、地球上の緯度1分に相当――編集部注)。
夕方、カモメの群れが飛んできて、私達を喜ばしてくれた。ムルマンスクと群島のどっちから飛んできたのか?水平線上には何頭かのイルカが泳いでいる。

4日目、群島ゼムリャ・フランツァ=ヨシファ

 甲板に出ると、自分の目が信じられなかった!冬の世界にやって来たのだ!気温は零度に下がっていた。そして、我々の砕氷船は、最初の氷を割る!

 最初の興奮が冷めやらぬうちに、拡声器で、左舷の側に北極の主、シロクマがいると伝えられた!旅行者は皆、甲板に駆け出した。

 すると、この可愛いはずの獣――ソチ冬季五輪のシンボルで、コカコーラのお正月CMのヒーロー――は全身血塗れで、つかまえたばかりのアザラシの赤ちゃんを貪り食っていた。しかも食べ方はお世辞にも上品とは言いがたく、この犠牲者を細かくちぎって食っている。これはたぶん、今までに私が目にしたホラーのなかで、最もスリリングかつ風変わりなものだろう!

5日目、ゼムリャ・フランツァ=ヨシファの島々

 今日は、船長のガンガン言う声で目が覚めた。拡声器で、我々の航路上にセイウチの群棲地があると告げていた。時間は午前4時。我々はゆっくりと、ゼムリャ・フランツァ=ヨシファの無数の島々を縫って進んでいた。

 セイウチは、我々の巨大な砕氷船が彼らの氷塊の間近に来るまで、それに気が付きもしなかった。
 昼、私はドミトリー・ロブソフ艦長と話をすることができた。



私「砕氷船の艦長になるのが夢だったんですか?」

艦長「小学3年の時から船乗りになりたいと思ってました。新年のお祭りでも同級生はみんな狼に扮したものですが、私は船員になりました」

私「勤務のスキームは?」

艦長「交代制で、一交代は4ヶ月続きます。船長が自分で船員を選びます。解雇もあり得ますが、滅多にないです。許されない主な過失は、酒の飲み過ぎですね」

私「船員達は自分の家族を乗船させられるというのは本当ですか?」

艦長「ええ、やる気を与えるためにね。私の娘も、生まれて初めて歩いたのは、砕氷船ででしたよ!」

戦勝50周年記念号」のドミトリー・ロブソフ艦長

6日目、北極点は世界の屋根



 2333kmの航海の末、我々は「世界の屋根」、北緯90度00分の北極点に到達した。

 私は北極探険家の日誌をいくつも読んだが、今や良心の呵責を感じる。初期の旅行者達はどれほどの欠乏と苦痛を嘗めねばならなかったことか!私はというと、船酔いを我慢しさえすればよかったのだ…。

 もし、お前の人生で完全に幸せだった日はいつかと聞かれたら、それは、この北極点で過ごした一日だろう。最後に、海中にコインを投じなければならなかった。それが澄み切った水の深みに閃きながら落ちていくさまを、長い間眺めることができた…。


チャンプ島は宇宙だ!


 この島には、直径数センチから3メートルにおよぶ完璧な球形の石があり、学者達はいまだにどうやってできたかと首をひねっている。旅行者達はここに連れてこないようにしている。小さい丸石はもう全部持っていかれてしまったので。

公園「ロシアの北極」

 ティハヤ湾は、ゲオルギー・セドフの探検隊によって命名された。彼は、1912年にロシア初の北極探検に出発したが、1914年2月、北極点まで約2000キロの行程のうち200キロほど進んだところで壊血病に倒れた。

 現在、ここティハヤ湾には、公園「ロシアの北極」がある。面積にして2番目の、ロシアの特別保護区だ。ロシアの基地がここに開設されたのは1930年代に遡るが、その後封印された。現在、復旧中だ。

ティハヤ湾は、ゲオルギー・セドフの探検隊によって命名された。
 とはいえ、まだまだ多くの作業が残っている。例えば、越冬後、旧基地の建物の一つがシロクマの子供に気にいったと見え、棲みついてしまった。追い出そうとすると、なんで最初に占領した自分が去らねばならないのか、どうにも納得できなかったようだ。
 夏にはこの公園は、単にこの厳しい土地を知りたいというだけでなく、それ以外にも色んな興味をもっている人のために、ボランティア・プログラムを実施する。

 基地には14人が生活している。研究者と公園の職員だ。ここでは例えば、ゼムリャ・フランツァ=ヨシファに群をなして棲む、北極のセイウチの遺伝的特質や、氷の現象がシロクマに及ぼす影響などを研究している。

Story and photos by Tatyana Pospelova.
Edited by Victoria Zavyalova, John Varoli and Alastair Gill.
Design and layout by Victoria Zavyalova.
© 2015 All Right Reserved. Russia Beyond The Headlines.
info@rbth.com

Made on
Tilda