ロシアNOWと「シベリア:点をつなぐ(SIBERIA: JOINING THE DOTS)」の
共同プロジェクト
アギンスキー・ダツァン
小さな鐘の音が響く家

 アギンスコエはザバイカリエ地方(モスクワから東へおよそ5000キロ)に位置する小さな町である。西にはバイカル湖が注ぎこみ、南はモンゴルと国境を接する。もし地元の人々にここはシベリアかと尋ねたら、彼らは断じて言うだろう。「いや、ここはザバイカリエ地方なのです」と。
 ザバイカリエ地方ではあらゆる点で地域独特の習慣、そして東洋に近いものを感じさせられる。アギンスキー・ダツァン(アギンスキー寺院)の周りで鳴り響き、松の木の梢へと舞い上がる聖なる鐘の密やかな音の中にも、ステップを吹き渡る埃っぽい風の中にも、またカフェのドアから町の通りに漏れだす作りたての羊肉のブウズ(独特のレシピで作られた大きな水餃子)の香りの中にも、それは感じられる。

 シベリアの多くの人々にとって、アギンスコエは地図のどこにあるのかさえ知らない場所だ。しかしこの地域の人口の大半を占めるブリャート人、それにザバイカリエのみならずブリャートやアルタイ共和国、モンゴル、トゥヴァに住む仏教徒にとって、アギンスコエは民族の伝説や儀式を記憶する祖先たちがいる家であり、心安く祈りを捧げ、遠いさすらいの旅から戻りたくなる家なのである。
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松の木の下にある場所
 アギンスキー・ダツァンへの入り口で、わたしは案内役に訊いた。「ここは僧院であり、閉鎖された場所ですが、わたしたちが寺院から追い出されることはないでしょうか?ラマ僧たちはわたしたちと話してくれるでしょうか?
 「大丈夫ですよ。仏教においてラマ僧とは、チベット語からの翻訳で教師を意味しています。ですからラマ僧は、質問をしに来る人すべてに対して、それに答え、助言を与える必要があります。その人が仏教徒か、キリスト教徒か、あるいは別の宗教の信者かということは重要ではありません」ラマ僧で、写真家で、旅行家でもあるわたしの案内役ダバ・ダバエフはそう答えた。
 アギンスキー・ダツァンの敷地内に入る。これはシベリアでもっとも古い寺院のひとつで、200年以上前に作られたものだ。ダバ・ダバエフは9年生を終えると同時に、父親に連れられてここにやってきた。ダバは最初、寺院のアカデミーの仏教哲学部で学んでいたが、3年生のときに絵画学部へと移り、その後ここで写真家として働くようになった。現在30歳だ。
 「ここに来たのは14歳のときで、そのときはダツァンとは何なのか、仏教とは何なのか、ラマ僧とは何なのか、よく分かっていませんでした。1年目は正直言って逃げ出したかった。勉強はたくさんしないといけない、仕事はたくさんある、しかも年長のラマ僧の言うことを聞いて、彼らの指示には従わなければならない。そういうしきたりなんです。休暇のたびに家に帰り、一生忘れることのない自由というものを実感し、ああ、これこそ家だ!と思いました。しかしそれから数年経つと、ハカシヤに来るたびに『早くダツァンに戻りたい』と思うようになったのです。ああ、これこそがわたしの家だ!と」
 わたしたちはアギンスキー・ダツァンにあるもっとも古い、もっとも美しいドゥガン(チベット仏教の寺院)であるデヴァジン・ドゥガンの中に腰掛ける。そばには松の木が並び、聖なる太鼓が立ち並んでいる。太鼓の中には10万から40万もの祈りの言葉が入っている。一般の仏教徒と僧院のラマ僧たちはこの太鼓を時計回りに回す。お祈りの形式のひとつだ。ドゥガンの中には輪廻の輪の絵、1930年代に粛清された尊敬すべきラマ僧の肖像画が掛けられ、ブッダの像が黄金に輝いている。そこにはチベットの伝統が感じられるが、最初のドゥガンはロシアのレンガ積み職人や大工によって作られたことから、ここにはロシア建築の伝統的要素も垣間見ることができる。 たとえば、格子のついた大きな窓はおとぎ話の御殿の窓を思い起こさせる。その窓を通して、昼の光が暖かい明るい陽だまりとなって床に降り注いでいる。
 ダバはこの光の下でベンチに座り、エルヒと呼ばれる仏教の数珠を両手で繰っている。彼は都会風のワイン色のジャンパーを羽織っているが、その色は羊の毛でできたラマ僧の上着の色そのものだ。ダバはシベリアをたくさん旅行したが、彼の内面、そして外見さえも、自身の家であるダツァンと今でも結びついている。寺院の門から広い世界へ飛び出しても、ラマ僧はラマ僧でありつづける。
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路傍の夕焼け
 「アギンスキーを去ること、あるいは旅に出ること。これは自身のルーツとの繋がりを断ち切ることを意味するわけではない」とダバは考える。「ダライ・ラマは、完全なる心の平安と幸福のために人は1年に1度、少なくとも1カ所は今まで行ったことのない場所を訪れるべきだ、そうすることで脳がより発達すると言っています」
 ダバとその友人の写真家、オペレーターのブラートとともにわたしたちは沿道のカフェに座り、ブリャートの民族料理である牛肉入りのジューシーなブウズを食べる。ダバとブラートは数年にわたり、自分たちが生まれ育った地域を旅し、自らのチャンネル「トラヴェルマン」のためのルポルタージュや映画を撮影している。最近では短編の劇映画「ニュウサ」(ブリャート語で秘密の意)を制作した。
「ここを去った友人たちは時々わたしに、なぜアギンスコエなんかにずっと留まっているのかと訊ね、本格的に根っこが生えないうちに早く出てきた方がいいと言うんです」とブラートは言う。「だけど自分の問題から逃げてはいけない。すべてはその人の中にあるのです。旅をして、周りの世界を見て、それと同時にアギンスコエで仕事をするためのインスピレーションを見つける必要があるのです。そしてわたしたちはそれを見つけることができているんです」
テキスト:アンナ・グルズデワ
校正: ジョー・クレセンテ
デザイン&レイアウト:ユリア・シャンドゥレンコ
写真提供:アントン・ペトロフ、 ダバ・ダバエフ/Siberia: Joining the dots

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