一線を越えるとは?

2014年2月12日 ブライアン・ユング
ロシアNOWに寄稿するブライアン・ユングが『アンナ・カレーニナ』を読み、一線を越えるとはどういうことか考える。
ブライアン・ユング=個人的なアーカイブ
ブライアン・ユング=個人的なアーカイブ

もしあなたが…だったら 

 あなたが政府高官夫人であり、誰からも羨まれるセレブな生活をしているとしよう。全てを投げ打ってまでも、燃えるような恋に人生をかけるだろうか。逆に考えてみよう。あなたが男性だとしたら、既婚女性に恋が出来るだろうか、それとも彼女の家庭を壊すのを恐れて踏みとどまるだろうか。もしくは、あなたの妻が不倫をしていたとしよう。離婚を受け入れ、彼女が人生をやり直せる様にしてあげるだろうか。

 レフ・トルストイ作『アンナ・カレーニナ』は、政府高官夫人のアンナと裕福なヴロンスキー伯爵の不倫を通して、欲望と道徳の狭間で揺れる主人公達を描く傑作だ。

 

どの時代にも超えがたい一線はある 

 トルストイの時代のロシアを知らずして、アンナ、彼女の夫カレーニンとヴロンスキー伯爵の真の苦悩を理解する事は出来ない。当時離婚が認められる理由は「夫もしくは妻の身体障害、5年間音沙汰なしの失踪、夫もしくは妻の不倫」だった。

 当時、最もよくあったのは「合意による双方の不倫」であった。あなたがカレーニンだったら、妻の不倫を公にするだろうか。カレーニンがアンナとの離婚に同意したとしても、家庭を壊した若い母親アンナは信念と正気を保てるだろうか。

  トルストイの小説には、疑問と苦悩が多く、答えはあまりない。しかし、悲劇的な結末(アンナは列車の線路に身を投げ自殺する)に辿り着くまで、読者は伝統と社会によって決められた一線を越えるとはどういう事なのか、考えることができる。

 あなたは一線を越えるだろうか。

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