バリアフリーは魔法の杖

ソチは、完全なバリアフリー・プロジェクトが実現されたロシアで最初の都市=タス通信撮影

ソチは、完全なバリアフリー・プロジェクトが実現されたロシアで最初の都市=タス通信撮影

ほんの数年前には耳慣れていた「インヴァリード(障害者)」というロシア語は、現在のソチではほとんど使われておらず、その代わりに「健康の可能性が限られた人」という言い方をよく耳にする。市井の人々は、最初のうちはこの長いオフィシャルな用語を敬遠していたが、2014年のソチパラリンピックの準備の過程でしだいに慣れ、人々の意識のなかで何かが変わりはじめている。

 現在、ソチでは、子供たちでさえ、車椅子に乗る人は自力で移動する人と同じであり、ただ地下通路のスロープや薬局の薬剤師を呼ぶための特別のベルといったちょっと異なる条件が必要なだけ、ということを弁えている。そして、交差点の「音声」信号はただの遊具ではなく弱視の人に必要なサポートである、ということを。そうした人たちも、みんなと同じように、買い物やお呼ばれに出かけ、モーニングコーヒーを飲み、祝日にはレストランで食事をし、公共の交通機関を利用し、夏には仲間と野外のシャシリク(ロシア風バーベキュー)に舌鼓を打つ。彼らには憐憫は無用であり、彼らに必要なのは、すべての人と同様に、便利で快適で安全な生活を送るための条件なのだ。

 

最初のバリアフリー都市 

 ソチは、完全なバリアフリー・プロジェクトが実現されたロシアで最初の都市。このプログラムのおかげで、1500以上の施設が、「健康の可能性が限られた人」のアクセスが可能になった。自動スロープや広いドアを備えてステップをなくした特別のバスがお目見えし、横断歩道や公共施設には、特別の電動昇降機やエレベーターが設置され、歩道や横断歩道や公園や辻公園には、弱視の人のための特別の点字ブロックが何キロメートルにもわたって敷設され、彼らのために音声つきの新しい信号が取り付けられ、信号が赤から青や青から赤に替わる際には長さの異なるホイッスルが鳴ったり「ストップ(止まれ)」と「イジー(進め)」という言葉が発せられたりする。有名なリゾートパーク「リヴィエラ」には、車椅子利用者のための特別のATMが置かれ、ミミックボードが創られ、市内の多くの表示にも、点字が添えられている。

 

障害者も新社会創出に積極参加 

 近年、障害者自身も、バリアフリー社会の創出に協力しており、たとえば、車椅子が通れる扉の間口などについて企業家に助言を授けている。

 ソチの車椅子障害者の社会団体「ヴォズロジジェーニエ(復興)」の代表であるデヴィ・タマラシヴィリさんは、こう語る。「ソチのバリアフリー化は、最初のうちは、どうすればいいのか誰にもわからず、手探りの状態でした。私たちは、自ら市内を東奔西走し、こんなスロープじゃとても車椅子は通れないなどと企業家たちに注文をつけ、造り直させるといった具合でした…」

 すぐにすべての新機軸が市民に歓迎されたわけではない。数年前、建物の一階にある例外なくすべての商店や理容室やカフェや工房のオーナーには、スタッフを呼ぶための高さ1メートル以下の特別のベルを取り付けることが義務づけられた。最初は、なんでそんなものが必要なのかと不評を買い、やがて、子供たちが悪戯をして、五分おきにベルが鳴り響いたり、ベルがなくなったりするようになり、テナントのオーナーたちは、ベルのスイッチを切ったり、ほぼ一週間おきにベルを付け直したりしなくてはならなかったが、次第に、みんなそれに慣れ、障害者用の呼び鈴は、ソチではあたりまえとなった。

 パラリンピック開催中は、ボランティアや地元の市民が、早朝から深夜までソチのすべての地下通路に立ち、すでにソチに到着しつつある車椅子の選手や旅行者たちが昇降機に乗り降りするお手伝いをする。

 

障害者スポーツも急速に発展 

 ソチでは、プロとアマを問わず、障害者スポーツ発展の面でも大きな変化が見られた。事実上すべてのスポーツ施設が、「健康の可能性が限られた人」のニーズに適うようになり、障害者用のシャフルボード、カーリング、チェス、アルペンスキー、その他の種目のセクションが開設された。また、パラリンピックのおかげで、ソチの障害者スポーツ人口が三倍に増えた。

 ソチの車椅子障害者の社会団体「STOIK」の代表であるオレグ・ステコリニコフさんは、こう語る。「ソチでは、このところカーリング熱がにわかに高まり、うちのチームは、うちと違ってもう十年余り取り組んでいる他の地域の強豪チームとも好い勝負ができるまでになっています。ソチの障害者は以前より人生を愉しんでいるという印象を覚えますが、私たちにとってはそれが一番大事なことです」

 車椅子障害者のウラジーミル・ロジオノフさんはこう語る。「昨夏、私の夢が叶いました。パラシュートで海のうえを翔んだのです。一週間かけて心の準備をしましたが、その甲斐がありました。高く上がれば上がるほど、空気が澄んでいきました。空から鳥瞰したソチの海辺の光景は、一生の想い出です。まさに、至福の十分間でした」

 

意識変革 

 夏の週末には、たくさんの障害者が、人々と触れ合い、浩然の気を養うために、最大のビーチ「リヴィエラ」にやってくる。市の中心部の海岸は、「健康の可能性が限られた人」のアクティヴなレジャーための設備がほぼ完全に整っており、そこでは、日光浴のほか、特別の浮揚式車椅子を用いて海水浴もできる。

 パラリンピックが変えたのは、ソチの町だけではない。それは、地元の人々の意識も変え、今流行りの「トレランス(寛容)」の精神を育んだ。車椅子の人たちは、今では、市民の憐憫ではなく敬意を呼び起こすばかりか、障害など何処吹く風と人生を謳歌するヒーローとさえみなされている。

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