モスクワ動物園に暮らす伝説のワニ

ワニのメスは、カンボジアの前国王ノロドム・シアヌークがモスクワに引き連れてきたもの。=

ワニのメスは、カンボジアの前国王ノロドム・シアヌークがモスクワに引き連れてきたもの。=

ルスラン・スフーシン撮影/ロシアNOW
 ナチス・ドイツから連れてこられたワニ。獣医の尽力で一命をとりとめながら、感謝の心を知らないシャムワニ。そんな彼らの暮らすのが、ここモスクワ動物園だ。

 獣医学博士で爬虫類が専門のドミトリー・ワシーリエフ氏はモスクワ動物園勤続はや30年。毎日が命がけ、少なくともハリウッド顔負けのスリラーである。もっとも、本人はいたって控えめ。仕事についても誇らない。

 「動物学者一家だったので、そう選択肢もなかった。はじめ昆虫を相手にしていたが、昆虫は根気が要る。でも私はずぼらな性格だ。もっと大型の獣を相手にすることになった」

 

檻に入らんとする者は鎧を着用のこと

 もちろん「ずぼら」は冗談だろう。相手がワニとあっては、ずぼらはたちまち死をまねく。ワシーリエフ氏は希少種ヨウスコウアリゲーターを指して言う。こいつは動くものなら何でも食べる、と。分厚いガラス越しに、そいつは我々の動きを目で追っていた。

 聞けば、ヨウスコウアリゲーターがモスクワ動物園にやって来たのはソビエト時代のこと。交換協定に基づき中国からメスが連れてこられた。しかし、オスを食い殺し、作業員に噛みつくという不品行を働き、米国に「流刑」。そこでも品行は改められず、新しい花婿の肢をもぎ取るなどの乱行に及んだ。しかし事前に子種は受け取っていたようで、その子らがモスクワ動物園に送り返された。

ドミトリー・ワシーリエフ氏=ルスラン・スフーシン撮影/ロシアNOW ドミトリー・ワシーリエフ氏=ルスラン・スフーシン撮影/ロシアNOW

 「アメリカは『塩漬け』で送ってきた。子ワニたちはひどい健康状態で、長期にわたり治療が要った。6頭のうち、生き延びたのは4頭だけだ」

 ワシーリエフ氏に問う。「ワニは人に恩義を感じるか?そもそも人を見分けるということがあるのか?」

 「記憶することは確かだ。たとえば、あなたがた撮影班が今、ワニの見ている前で、4人で小屋に入り、3人だけで出てきたとする。そしたらワニは、中に1人残っているな、と思う。かみつく相手は誰でも構わない。その時も選ばない」

 「目を見てワニの感情を読むのはほとんど不可能だ、との話だが」

 

「外から見ても何も分からない。ワニは大抵、不動を守っている。狩りの際には動かない、息や瞬きさえしない。まぶたが動けば獲物は逃げる。そうしたことが彼らの本性に組み込まれているのだ。それこそ大病を患った時さえ何らの兆候も見せない。ものを食べなくなるばかりだ。もっとも、健康であっても、冬中食べないでいられる彼らだ」

 そういう次第で、檻で患者に歩み寄るワシーリエフ氏は、ほとんど鎧武者の観を呈する。盾の代わりに厚い合板、槍の代わりにモップを手にして。モップは頻繁に交換することになる。噛まれてボロボロになってしまうからだ。「ワニが相手のオペや治療は全て大層神経をつかうものだったので、全く思い出したくない」。もう何年も前の話だが、ドクトルは患者に指を噛み取られてしまった。すぐに縫合し、傷跡はほとんど見当たらないとは言え。

 

ベルリンからの戦利品

 取材班の今回のメインターゲットはミシシッピワニのサターンだった。数年前から「ヒトラーの寵愛したワニである」とかと話題になっていたものだ。直接の飼い主に当たって噂の真相を確かめるべく、ワシーリエフ氏に案内を請うた。

 檻に近づいたとき、思いがけなくワシーリエフ氏が、中に入るようカメラマンに勧めた。「近づかなければ何も怖いことはない。サターンはもう高齢で、動きが鈍い。記録は無いが、90歳近いのは確かだ。この種のワニの長寿記録は104歳だが、記録は記録だ」

おおよそ1920年代半ば以降、サターンはベルリン動物園に住んでいた。=ルスラン・スフーシン撮影/ロシアNOWおおよそ1920年代半ば以降、サターンはベルリン動物園に住んでいた。=ルスラン・スフーシン撮影/ロシアNOW

 ナチスに加担した過去があるかどうかについては、ワシーリエフ氏はきっぱりと否定した。ヒトラーの寵愛など受けてはいない。ただし、一方で、両者が出会っていたことは確実だという。おおよそ1920年代半ば以降、サターンはベルリン動物園に住んでいた。動物好きで知られるヒトラーはたびたびここを訪れていた。

 1945年のベルリン攻撃で動物園は跡形もなくなるまでに爆撃されたが、ワニは奇跡的に生き延びた。はじめ英国の手に渡った(動物園はベルリン西部にあった。すなわち、英国の管轄下)が、翌46年、ソビエト連邦に寄贈された。

 50年代末、モスクワ小町シプカと娶せられる。ただ、ワシーリエフ氏、シプカのことは思い出したくない様子。氏の指を噛み取った張本人が、このシプカだからだ。

 「猛悪きわまるメスだった。夫とは正反対だ。サターンはむしろ感傷的。1993年、ここから程近いサドーヴォエ環状道路を戦車が走ったとき、振動に興奮して唸り声をあげた。どうやらベルリン攻撃を思い出したようなんだ」

「サターンはむしろ感傷的。1993年、ここから程近いサドーヴォエ環状道路を戦車が走ったとき、振動に興奮して唸り声をあげた。どうやらベルリン攻撃を思い出したようなんだ」=ルスラン・スフーシン/ロシアNOW「サターンはむしろ感傷的。1993年、ここから程近いサドーヴォエ環状道路を戦車が走ったとき、振動に興奮して唸り声をあげた。どうやらベルリン攻撃を思い出したようなんだ」=ルスラン・スフーシン/ロシアNOW

王のお恵み

 サターンのお隣さんもサターンに勝るとも劣らない興味深い来歴をもっている。サターンに寄せるのと同程度の関心が示されないのがもったいないほどだ。大型のシャムワニ(生息地は東南アジア)のつがいで、ワシーリエフ氏によれば、「人喰い」ワニだという。

 「陸地を非常に敏捷に動き回る。最大で秒速10m。逃れるすべはない」

 しかし、特筆すべきポイントは他にある。ワシーリエフ氏の案内で対面かなった(むろんガラス越しにだが)メスは、カンボジアの前国王ノロドム・シアヌークがモスクワに引き連れてきたもの。それも、プレゼントとしてではない。食べ物として、だ。ワニは、他の数種の動物とともに、ソビエト指導部との親善会食に供されるはずだった。それが、ソ連にワニを調理できる人材が欠けていたのか、それともソビエト指導部が臆したか、いずれにしろ、ワニにとっては幸運なことだった。

 「会食の翌朝、電話が鳴った。食べ残しを引き取ってくれ、と言われた。インドニシキヘビが2匹、何かのミズガメ、そしてこのメスワニだった。完全に冷凍された状態だった。解凍すると、背中の鱗が剥離してしまった。治療に治療を重ねたが、ある朝来てみると、彼女は死んでいた。棒で突くが反応がない。当時の園長フロロフが屈みこんで言った。『ああ、可哀想に・・・』。そのとき、彼女が歯を打ち鳴らした!戦慄が走った。私などまだ着任ひと月だった。口をばちんと閉じたからといって必ずしも取って食おうとしているわけではない、ということが分かるのは、まだ先の話だ。相手を脅かしたいとき大きな音で歯を打ち鳴らすのが彼らの流儀なのだ。脅かす以上の気が無くて幸運だった」

 結局ワシーリエフ氏はシャムワニの檻に入ってみるよう提案することはなかった。我々のほうもあえてそれを言い出す気はなかった。

このウェブサイトはクッキーを使用している。詳細は こちらを クリックしてください。

クッキーを受け入れる