ロシア皇帝の愛の日々

 2月14日はバレンタインデー。ロシアの皇帝は国の仕事だけでなく、情事でも有名であった。ロシアNOWの今日の特集は3人の皇帝の愛。

「イヴァン雷帝」/トレチャコフ美術館「イヴァン雷帝」/トレチャコフ美術館

1.     イヴァン雷帝

 イヴァン雷帝(1530~1584年)は、封建的割拠期の残党と戦った根気強い闘士として、厳しい統治者として、妻の数が記録的な皇帝として、ロシア史にその名を残している。妻が何人いたのかについては、歴史学者がいまだに議論している。3~4回の結婚を教会は認識している。他にも教会で結婚式をあげていない妻が3人いたことが明らかになっているし、たくさんの婚外関係についても知られている。

 イヴァン雷帝の色欲には数々の証拠がある。雷帝からリトアニアに逃亡した「ロシア初の敵対者」クルプスキー公は、イヴァン雷帝の「アフロディーテ罪」を非難した。本人は否定することもなく、「肉欲の抑制に弱い」、「我々は皆人間」と答えた。

 イヴァン雷帝のために、国中で花嫁探しが行われ、モスクワには何度も「貴族の娘」が連れてこられ、1500人に達したこともあった。その中から選んでいた。妻の多くは、イヴァン雷帝とあまり長くいなかった。例外は最初の2人の妻アナスタシヤ・ザハリイナ=ユリエワとマリヤ・テムルコヴナである。年代記によれば、一番好きだったアナスタシヤとは13年暮らし、マリヤとは8年暮らしたという。イヴァン雷帝は、この2人が大貴族の反逆者らによって毒殺されたと考えていた。

 妻たちの運命は決してうらやむものではない。若いうちに亡くなったり(アナスタシヤは30前、マリヤは25歳前後でなくなっている)、修道院に入ったりしている。

「ピョートル大帝」  / ミュンヘン・レジデンツ博物館「ピョートル大帝」 / ミュンヘン・レジデンツ博物館

2.     ピョートル大帝

 ロマノフ皇朝で最も優れた皇帝ピョートル1世(1972~1725年)も、恋多き人物であった。当時の人は、「皇帝陛下は女性を愛した」と愛に夢中になっていたことを回顧している。2回結婚したが、2人の妻も強く愛していた。ただ、ピョートル1世が17歳の時に結婚させられた最初の妻エヴドキヤ・ロプヒナとは、長く続かなかった。「夫婦は熱々だったが1年しか続かなかった」と、ピョートル1世に近い人は書いている。

 より強い愛で結ばれたのが2番目の妻エカチェリーナ・アレクセエヴナである。ピョートル大帝軍がスウェーデンとの戦争の際に領有した現在のラトビアの西部の街で、牧師の女中をしていた。エカチェリーナは当初、伍長の愛人、次にシェレメチェフ元帥の愛人、次にピョートル大帝の戦友アレクサンドル・メンシコフの愛人になり、メンシコフを通じてピョートル大帝と知り合った。魅力的な美しさのエカチェリーナは1711年、妻となった。

 ピョートル大帝がエカチェリーナに宛てた150通以上の手紙が残っている。「私の友エカチェリーナ、こんにちは!寂しがっていると聞いたが、私も寂しい!でも、仕事があるのに、寂しさにかまけて仕事を怠けてはならないと思う」とある時書いている。

 とはいえ、この熱い愛が、他の恋愛を阻むことはなかった。エカチェリーナは浮気を知っていたが、寛容だった。ピョートル大帝は晩年、エカチェリーナと別れて、モルドバ公の娘マリヤ・カンテミルと結婚するつもりだった。だがピョートル大帝のまわりにいたエカチェリーナの友達がマリヤとの関係を壊したと考えられている。

「エカテリーナ2世」/トレチャコフ美術館「エカテリーナ2世」/トレチャコフ美術館

3.     女帝エカチェリーナ

 色事の多さで最上位に位置するのはエカチェリーナ2世(1729~1796年)かもしれない。たくさんのアバンチュールの噂がある。エカチェリーナ2世が愛した人は、34年の治世で20人以上いたと考えられている。

 何年も続いた関係もあれば、すぐに終わった関係もある。エカチェリーナ2世により長い期間愛されたのは、女たらしの将校で大胆不敵な戦士グリゴリー・オルロフだった。10年以上、愛人であった。エカチェリーナ2世は結婚を望んでいたが、説得されてやめたという意見もある。

 グリゴリー・ポチョムキン公も愛されていた。当時最も目立っていた政治家の一人で、クリミア制圧のイメージがいまだに強い。ポチョムキンは愛人ではなくなった後も、エカチェリーナ2世への影響力を失わなかった。歴史学者は、ポチョムキンがそのために自分の「後継者」を選んだとも書いている。

 最後の愛人となったのはプラトン・ズーボフ。だがズーボフはポチョムキンの子分ではなかった。それどころかポチョムキンへの愛が消えるように動いた。エカチェリーナ2世は、ズーボフと人生最後の7年を過ごした。ズーボフより35歳も年上だったが、本気で愛していた。アレクサンドル・デュマ・ペール(父)によれば、エカチェリーナ2世は、エリザベス1世と同様、愛人の前で女性というだけでなく、女帝であり続けたという。

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