ロシアの哀愁に魂が揺さぶられ

石橋幸さん=

石橋幸さん=

ナタリア・ススリナ撮影
 信じがたいことだが、東京には、43年も前から、ロシアのシャンソンを愛する人たちのすてきな一隅がある。彼らは、時間と天候さえ許せば、毎晩、新宿三丁目駅の伊勢丹デパートから文字通り徒歩数分のところにあるゴールデン街の小さなバー「ガルガンチュア」へ足を運ぶ。店の主は、ロシアの歌を何とも味わい深く歌う石橋幸さん。そのレパートリーには、ヴィソーツキイもあればブガチョワもあればロシアのシャンソンさえある。

 石橋さんは、1944年に朝鮮半島で生まれた。早稲田大学でロシア語を学んだが、本人によると、最初はあまり面白くなかったという。転機が訪れたのは、石橋さんがモスクワのプーシキン記念教育大学での語学研修を受けにソ連を訪れた1980年代のこと。それを境に、ステージではとうに歌われなくなった歌を探し求める辺境無頼の旅が始まった。今、石橋さんは、ロシアの民謡ばかりでなく、シャンソンやロマ(ジプシー)の歌や囚人の俗謡も歌っているが、それらの歌は、ソ連では久しく敬遠されていた。6~7人も入ればいっぱいの「ガルガンチュア」には、毎晩、常連たちが顔をそろえる。そこでは、酒を飲み肴を抓むことができ、お品書きには、もちろんウォッカもある。お腹が空いていれば、店の主が、いつも夕食を分けてくれる。

 

ー石橋さんのお店「ガルガンチュア」にロシア人はよく来ますか。

 知ってる人が誰かを連れてくるという感じでロシアからのお客さんがいます。中には、モスクワで聞いてきたから、ここにやってきたという人もいます。

 

ー2010年にモスクワのクレムリンで公演したことがありましたね。

 ロシアでの公演はそれほどはありません。私は自分で場所をつくり、自分で知り合いの人をつくりました。昔はそういう人たちがいっぱいいたんですけど、最近は少なくなってきました。

 ロシアで歌うのは「個人的に」やるのがいいですね。一昨年はハバロフスクで野外コンサートもやりました。

ハバロフスクで野外コンサート

 

ーロシアの歌の中で最も好きなのは何でしょうか。

 盗賊の歌です。この人たちは社会という枠からはじかれた人で、はじかれても全然自分というものを失っていません。社会的に正しいのか、不正なのかは私には問題ないのです。自分たちの仲間たちのためだけに歌っている。そういうところも好きになりましたね。

 

ーロシアの歌手のなかで「先生」と呼ばれる人がいますか。

 それは永遠のマエストロ、ワジム・コージン(1903~94年、ロマ系の歌手で、後半生は極東マガダで過ごした)です。本当に伝説的な人です。彼の声を評価する人たちは今、日本の私の周りのミュージシャンたちの中でもたくさんいます。

 私がコージンの歌を歌ってると、「伴奏をしたい」といってきた人もいます。コージンは私の人生から外せない人です。

 

ーどういうところにロシアの哀愁を感じますか。

 私のなかにはロシアの魂があると思います。日本人から「なんでロシア?」と言われるんですが、私の魂がロシアを呼んでいるんですよ。だから、私がそこへ行くのではなくて、呼ばれているわけです。

 

ー日本人とロシア人との主な違いは何でしょうか。

 まあ、(ロシア人の)魂が大きい。国土も広いですよね。それは当然なことですよ。でも、それと同時にみんな同じですよね。もう、今はお金持ちの人たちの考えること、中級ぐらいの人の考えること、貧しい人の考えること、それも地球中、全部同じだと思います。

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