フロールとラヴルは、レフ・トルストイが祖国戦争を描いた大長編『戦争と平和』で、農民プラトン・カラターエフの奇妙なお祈りに出てくる。主人公ピエールは、モスクワの大火で、放火の容疑者としてフランス軍に逮捕され、カラターエフに出会う。ピエールの精神的な死と復活を描いた一連の場面は、この傑作のなかでもとくにすばらしい。

 

 プラトンはしばらく口を噤んでから、立ち上がった。

 「どうだね、もう眠いだろうね?」と彼は言うなり、すばやく十字を切って、こう唱えた。

 「主イエス・キリストさま、聖者ニコライさま、フローラとラヴラさま、主イエス・キリストさま、聖者ニコライさま、フローラとラヴラさま、主イエス・キリストさま、われらを憐れみたまえ、救いたまえ!」。こうお祈りを結ぶと彼は、地面に額づき、立ち上がって、吐息をつくと、自分の藁にすわった。「これでよしと。神さま、石のように眠らせ、白パンのように起こしたまえ」。こう言うと横になり、外套を引っかぶった。

 「今お前が唱えたのはどういうお祈りだね?」とピエールは尋ねた。

 「なんだって?」とプラトンは言った(彼はもう眠りかかっていた)。「なにを唱えたかって?神さまにお祈りしたんだよ。お前さんはお祈りしないのかい?」

 「いや、僕もお祈りするけど」とピエールは言った。「ただ、なんて言ったんだい、フローラとラヴラ?」。

 「もちろんさ」とプラトンは早口で答えた。「馬のお祭りだよ。動物だってかわいがってやらなきゃなあ」。

 (『戦争と平和』、第4巻、第1章、第12節)

 

聖者伝のフロルスとラウルス

 フロルスとラウルスは兄弟であり、ローマ帝国の属州イリュリクム(アルバニアから旧ユーゴスラビアにかけて広がっていた地域)で、2世紀に殉教したと伝えられるが、その事績は聖者伝にしか載っていない。

 それによると、二人は有名な石工で、若いときにキリスト教徒になった。あるとき、イリュリクムの代官は、隣の属州に異教の新たな神殿を建てるために、二人を派遣した。

 ところが兄弟は、もらった金を貧者に施したうえ、彼らにキリスト教の説教をした。兄弟がいくつかの奇跡を顕したこともあって、布教は大いに成功した。とくに、異教の祭司の息子が罹っていた病を癒したため、父子ともに改宗したのが大きかった。

 神殿を建てると、その中で、新たにキリスト教に改宗した信徒たちと祈祷を行った。そして、そこに安置するはずだった異教の偶像を破壊した。

 彼らは全員捕縛されて、火あぶりとなり、フロルスとラウルスの兄弟は、井戸に投げ込まれて、上から土をかぶせられ、生き埋めとなった。

 後に、彼らの遺体を引き上げたところ、腐敗していなかったので、コンスタンチノーポリに運んだ。

 ロシアからの巡礼アントニーとステファンが、兄弟の不朽体をそれぞれ1200年と1350年に見たという。

 言い伝えによると、兄弟の遺体を井戸から引き上げるや、家畜の斃死が止んだ。そこで、ロシアでは馬の守護聖人として尊崇されてきた。兄弟を描いた古代のイコンでは、必ず馬を描き入れる慣わしだった。

 

日付の食い違いは何を意味するか? 

 一つ謎が残る。ピエールが放火の容疑者の処刑に立ち会わされたあと、バラックに入れられたのは9月20日(ユリウス暦9月8日)と、作品に明記されている。だが、馬のお祭りは、8月31日(ユリウス暦8月18日)だ。こんなことをトルストイが知らなかったはずはない。カラターエフは、なにか考えがあって、フロルスとラウルスの名を唱えたのだろうか?

 ちなみに、9月20日(ユリウス暦9月8日)という日付は偶然ではない。これは、ロシア軍がモスクワ放棄後、凄まじい強行軍で、リャザン街道から旧カルーガ街道への移動を完了し、1812年の祖国戦争がはじまって以来初めて、全軍が一息つけた日なのである。

 「この日、わが軍は休息することができた」と、総司令官ミハイル・クトゥーゾフは、軍事日誌に書いている。この言葉は重い。

 目に見えないところで、ロシア軍とフランス軍の運命の秤が逆転し、ロシアが復活への端緒をつかんだ、まさにその日、ピエールもまた精神的に甦る。軍馬も労わってやらなきゃなあ・・・。

 もちろん、こんな全体の状況をカラターエフが知っていたというのではない。しかし、トルストイは、さりげなく、自分のメッセージを潜ませていたのだと思う。

 この世界には、目に見えないつながりがある。ロシアの復活とピエールの復活とは、どこかでつながっている。そういうつながりが世界を支えている。だから、神秘的な働きで、カラターエフが、馬のお祭りのことをふと思い出しても不思議はない。そして、それがいかにピエールの心を動かしたかを見てほしい、と。