四足の伝説 

  いわゆる「見張り猫」は、観光客の目に触れることがない屋根裏や地階に住んでいるので、誰もその存在に気づかない。1764年に当美術館が設立されて以来、運営当局は、これらの俊敏な「警備員」たちを「雇って」きた。今日、ドブネズミやハツカネズミは化学薬品を使って簡単に駆除できるが、この美術館は、歩く伝説としてマスコットと化した猫たちなしにはやっていけない。 

最初の猫は、「公共サービス」目的で18世紀に導入された。ピョートル1世(1672~1725)は、大型の猫をオランダから持ち帰り、その住処を、当時木造だった冬宮内に設けた最初の人物だ。その後、ネズミ類を恐れた女帝エリザヴェータは、猫の一群をカザンから取り寄せるよう命令した。 

女帝エカチェリーナの治世に地位を確立 

 猫は、エカチェリーナ2世(1729~96)の在位中に宮殿の守衛として、その地位を確立した。ドイツの公家から皇太子ピョートルに嫁いできたエカチェリーナ大公妃のもと、猫たちは部屋内の猫(ロシアンブルー)と、彼女が安心できるように、ドブネズミやハツカネズミを捕まえる裏庭の猫たちに分けられた。 

国立エルミタージュ美術館の起源は、オランダとフランドルのアーティストによる220点の作品をベルリンの代理人を介して収集した、エカチェリーナ2世の私的コレクションに遡る。当初は、彼女が収集したほとんどの絵画は、フランス語で「エルミタージュ」(隠遁所、隠れ家)として知られるようになった、冬宮に隣接する離宮に保管されていた。 

レニングラード封鎖で全滅 

エルミタージュに雇われた猫たちは、十月革命を乗り越え、ソビエト政府のもとでもその任務を全うし続けた。しかし猫たちは、1941年から1945年までの大祖国戦争中のレニングラード包囲を生き延びることはできなかった。

飢餓に苦しめられた人々が猫をすべて食べ尽くしてしまうと、この都市ではドブネズミがはびこるようになった。しかし、44年1月に包囲が終わるやいなや、猫をのせた2台のトラックが中央ロシアからレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)に到着し、これをもとに新たなドブネズミ獲りの猫軍団が編成されることになった。

 猫の人口問題 

猫の数は、1960年代後半になると空前のレベルにまで増加した。猫たちが美術館の地階だけでなく、展示室や廊下にも侵入するようになったため、美術館の運営当局は、これらの猫を撤去するように命じられ、その通りに実行された。

しかしその数年後、美術館は、猫の助けを借りずに文化財を保存するのに苦慮し、この「しっぽがついた警備員」たちは、美術館に戻るように命じられた。 

パスポート携行 

それ以来、エルミタージュの猫たちは大切に世話をされてきた。それぞれのいわゆる「隠遁者」たちは、美術館の地階をネズミたちから守るという困難な任務の遂行資格を証明する、写真入りのパスポートを携行している。

猫たちは大切に世話され、えさを十分に与えられ、具合が悪くなると面倒を見てもらい、激務に対して尊敬を勝ち得ている。美術館の従業員たちはすべての雄と雌の猫たちの名前を覚えている。彼らは、それぞれのネコの性格に合った名前を慎重に選ぶ。 

定員は60 

しっぽの生えた警備員たちは、主に路地の野良猫によって構成されているが、帝政時代の頃と変わらず、猫社会には厳格な階級制度がある。猫は貴族、中流階級と下流階級に分類される。各グループは、館内の指定された特定の場所で活動している。猫の従業員は50〜60匹を超えることはできない。キャットフードのコストの面で、世話が難しくなるからだ。数が60匹を超えると、猫たちはけんかをし始め、それぞれの義務を怠ってしまう。そのため、美術館はときどき余分な猫を引き取ってくれる人を募集する。 

328日は「エルミタージュの猫の日」 

この美術館の地階には、キャットフードを保管したり、病気の猫の世話をしたりする場所が特別に指定されている。美術館近くの道路には、運転者に対して猫の存在を警告する交通標識があり、運転に注意して速度を落とすよう注意を呼びかけている。エルミタージュの猫たちの間では、交通事故が最も頻繁な死因となっているからだ。

エルミタージュ美術館の予算は、猫の世話に充てる資金を割り当てていない。猫たちは、生存を市民や美術館の従業員たちからの寄付に頼っている。

毎年3月28日に指定されている「エルミタージュの猫の日」は、美術館の行事の中でも忘れられない日だ。美術館の従業員が準備するこの日には、情報に富んだ多数の展示やエキサイティングなコンテストなどが企画されている。

元原稿(英語)