柔道のアレクサンドル・ミハイリン選手

=ロシア通信撮影

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世界柔道選手権で3回優勝し、ヨーロッパ大会で6回優勝したベテラン選手が、初めて五輪に出場する。 

 アレクサンドル・ミハイリン選手は、1997年からロシア代表として大会に出場していたが、33歳になってようやく五輪出場の機会を得ることができた。ロンドン五輪に向けた意気込みを語ってくれた。

 

-五輪という目標まで、とても長い道のりでしたが、今何をお感じですか。

満足しています。この期間無駄に練習してきたわけではないということですからね。どのスポーツにとっても五輪は最高の舞台です。たくさんの人が私はもう若くないと考えていますが、まだ多くのことを成し遂げられるということを証明して見せます。去年はケガをし、盲腸の手術もしたので、吉とはなりませんでしたが、今は肉体的にも精神的にもとても良い状態です。

 

-今はピークの状態ということでしょうか。

現時点では恐らくピークではありません。ピークを競技日に合わせられるようにしています。競技で大切なのは、恐怖心に負けないことです。それさえなければすべてがうまくいきます。

 

-どうやって緊張を克服するのですか。

 試合への出場実績は豊富ですが、これほどの大舞台は初めてです。コーチ陣が優秀なので、私をサポートしてくれるでしょう。ライバルすべてを簡単に負かすとまでは言いませんが、勝つためにできることはすべてやります。対戦相手は皆知っていますし、基本的に勝てる相手であると思っています。それぞれがどのように五輪に挑むかにすべてがかかっています。

 

-イタリアの元柔道家のエツィオ・ガンバ氏(モスクワ五輪の金メダリスト)が、2008年からロシア柔道代表のコーチとなっていますが、慣れるのは大変でしたか。

 順応するのはとても大変でしたし、時間もかかりました。ガンバ・コーチが来てから、練習、技法、準備などすべてが変わりましたから。その代わり、今はとてもやりやすくなりました。ガンバ・コーチから学べることは多いです。

 

-例えば何を学べますか。

 戦術では、さまざまな技のコンビネーションを新たに習得しました。

 

-コーチとは何語で会話していますか。

 ドミトリー・モロゾフ・コーチはイタリア語が堪能なので、上級コーチと通訳の二役をこなしています。ただ、ガンバ・コーチのロシア語がとても上達したので、今では通訳は必要ありません。柔道用語はどこの国でも同じなので、基本的には互いの言語を知らなくても理解し合えます。

 

-ロンドン五輪の開会式に参加しないことを残念に思いますか。

 このイベントを見たいとは思いますし、旗手のオファーも受けましたが、ロンドン入りするのは少し遅いので、辞退せざるを得ませんでした。旗手はテニスのマリヤ・シャラポワ選手が務めることになりましたが、適任でしょう。

 

-初めて女性が旗手になりましたね。

 女性はずっと男性と同等の扱いを受けることを夢見ていましたから、いいことです。がんばってほしいです。

 

-柔道のチームは300日以上も合宿をしています。ミハイリン選手にはお子さんが5人いて、大家族ですが、長く不在でお父さんの顔を忘れたりしていませんか。

 IT技術のおかげで、そういった問題はありません。スカイプでいつも会話しています。お互いにとても寂しいと思っています。娘が2人、息子が3人いますが、すばらしい子供たちです。

 

-息子さんに柔道をさせたいと思っていらっしゃるのではないですか。

 本人たちが希望したらやらせますが、強制は絶対にしません。

 

-スポーツ選手にはあまり多くない、法学の学位をお持ちですが、柔道で成功した後、司法の道に進むご予定ですか。

 今はロンドンのことで頭がいっぱいですから、まだわかりません。五輪が終わったら何か見えてくるでしょう。法律家になりたかったから法学を学んだわけではなくて、自分の権利と義務を知るために学んだだけなのです。

 

-プーチン大統領と何度も柔道をされていますが、スポーツ以外に何かお話されましたか。

 いろいろな話題がありましたよ。プーチン大統領はとてもおもしろくて、多面的な人です。

 

-ひんぱんに大統領と戦っていますか。

 戦うという言葉は大げさですね。技の稽古をしただけですよ。

 

-もう33歳ですが、柔道には年齢制限はありますか。

 一般的には、軽量級なら30歳までに選手生活を終えます。超重量級なら、健康でやる気がある限りは畳の上に立ち続けます。

 

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