オロチョンでの後味がするアイヌのラーメン

択捉島 =AP通信撮影

択捉島 =AP通信撮影

新潟でのことである。私はある晩「オロチョン」ラーメンを食べに馴染みの店へ寄った。愛想のいいママさんとおしゃべりが弾み「オロチョン」という名前は、絶滅しつつある「オロチョン族」の数千人の民が今もアムール河畔で暮らす大陸からアイヌを経由して伝わったとの結論に至った。

「ママさん、中華そばが一つ」。私はビールのジョッキを持ち上げながら彼女に告げる。「添えられた朝鮮のキムチが二つ。 北海道のアイヌたちが名づけたというのが三つ。 アムールのシャーマンたちのためにというのが四つ。 それを作るのは日本人で、食べるのはロシア人…。この店は勲章ものですよ、民族の絆をこんなに深めているのですから」

「あれ、 ロシアの方?」ビールを飲んでいた小柄で気さくな老人が身を乗り出す。「で、どうなの。島はいつ返してくれるんだい」

十人ほどの客がママさんともども私の返答を待っている気配。そこで、私は、鞄から紙とボールペンと印鑑を取り出し、老人の名前をたずね、こう記す。

「誓約書。私、コワレーニン ・ドミトリーは、日本国民の田中さんのためにロシア領の1億3千6百万分の1に対する市民としての要求を放棄する」。

私は署名・押印し、日付を添え、その文書を彼に手渡した。「なるほど」彼は溜息をつく。「そうか、そっちもいろいろ大変なんだね」

私と田中さんは深夜までその店に長居した。私は彼に語った。もし第二次世界大戦で日本がロシアを攻めなかったことを知ったなら、ロシア人の半数以上はびっくり仰天するであろうことを。私たちロシア人が日本人をなぜか中国で攻撃し、ポツダム宣言に違反して約 60 万人の日本兵をシベリアへ送ったことを。

さらに、ロシアのインターネットではずっと以前から「愛国主義者たち」(日本 に国土を1メートルも渡さない!)と「リベラル派」(四島のうち2島を引き渡して和睦しよう!)の間の「内戦」が行われていることを。

そして、若い世代は「日本とロシアには平和条約すらないのか。 ドイツがソ連を攻めたのであって、日本は攻めなかったのに」と首を傾げ、誰もその訳を知らないことを。

田中さんは自分のことを話してくれた。彼は、ハバロフスク近郊で抑留生活を送り、ロシア語で覚えているのは「プリヴェート(やあ)」と「カパーイ・カパーイ(掘れ、掘れ)」だけというが、概してロシア人には好感を抱いている。今は肥料用の火山灰を売る仕事をしているそうだ。

彼の話では、日本の若者もロシアと日本の間に起こったことを知らず、多くの年少の子供たちは「広島と長崎へ原爆を落としたのは誰?」との問いに肩をひそめて「たぶんロシア人」と答える。大事なのは、それが誰の島なのかではなく、隣人同士の問題をどうやってうまく解決するか、なのだという。

3杯目のビールを飲み干すと私たちは共通の結論に至った。サハリンはロシア人によって流刑地として利用された。アイヌ語の「クナシリ」(黒い島)を日本人は「国の後」と書く。ロシア人も日本人も肝心なことを忘れているのだ。

ロシアと日本の領土問題は 19 世紀初めごろに端を発する。国後島でのアイヌの最後の蜂起は1789年に起きた。サハリン、クリール、北海道の先住民であるアイヌが、自分たちの土地を追われたのである。2003年にサハリンを訪れた村上春樹を感嘆させたのは、まさにこの史実であった。

「これで誰に北方領土を返すべきかが分かった。南クリールにアイヌの共和国を創れば済むこと」

その日のラーメンの味は今も覚えている。

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