ロシアの政治の異質性

2011年12月16日 猿谷徹
本年9月24日、プーチン首相が次期大統領選に出馬表明、同時に次期首相候補にメドベージェフ大統領を指名した。このニュースを各国メディアの多くは、「既定路線」との認識の下に淡々と伝えた。一部に、「プーチンの独裁体制継続!民主主義の冒涜だ、けしからん!」的な論調も見受けられたが、こうした見解は、ロシアの政治・社会の実情をよく理解していない、と私は思う。
12月15日、プーチン首相は毎年恒例のテレビを通じた国民との直接対話を行った=AP Photo撮影
12月15日、プーチン首相は毎年恒例のテレビを通じた国民との直接対話を行った=AP Photo撮影

そこで、ロシアの政治の異質性について述べてみたい。

ロシアのどの時代においても、強力な権力を握る絶対君主、次に一握りの貴族・行政官・文化人、底辺には圧倒多数の農奴・民衆、という明確なヒエラルキーが存在する。もっとも19世紀までは、どの国でも同じような状況だったが。

問題は、労働者による労働者のための国家を目指したソビエト連邦が、この歴史的ヒエラルキーを、共産党独裁体制の下で20世紀後半まで温存してしまったことだ。つまり、共産党が絶対君主に置き換わっただけで、基本的な社会構造は変わらなかった。 

故に現在でもこの国のリーダーは、強力な権力を持たない限り国を取りまとめることはできない。強力な権力とは、軍・警察・司法・行政・金融・企業・マスコミ・宗教に加えてマフィヤをも統制できる力を意味する。すなわち絶対君主だ。

こうした背景からロシア人は、明確な権力を持ち、実力もあり、部下の面倒見のよいリーダーを求める傾向が強い。プーチン首相は、まさにこうしたリーダーの一人だ。彼が政権を握った時の国情を考えると、ロシアには絶対君主的リーダーが必要だった。

一方、わずか20年前にソ連の崩壊という国家と社会秩序の喪失を経験したロシア人は、基本的に政府・行政に対して懐疑的だ。彼らからこんな話をよく聞く。「ソ連時代から政府は政府で働く人のためにある。彼らは自分たちを豊かにすることだけを考えている。ロシア連邦に変わっても、政府関係者のほとんどは同じ人なのだから変わらないよ。」 この懐疑心は、一般企業に対しても向けられている。要は、ピラミッド組織の上層部にいる人間はみな信用できないという見方である。現在でも行政・企業関係者による汚職は日常的なものなので、強いリーダーを求めると同時に強い懐疑心も持っている。

ロシア人のこの葛藤との対峙が、ロシアでの政治及び会社経営の難しさだ。

大きく社会構造を変えるには強いリーダーシップと時間が必要だ。新興国ではなおさらだ。かつて私が駐在したマレーシアは、マハティール元首相の長期政権下で国力を飛躍的に伸ばした。鎖国政策を廃し近代国家を目指した明治の日本も、当時の政府は長州・薩摩藩出身の限られたリーダー達による総理大臣職持ち回りの独裁政権体制だった。

大切なことは、どちらも世界の情勢をにらみ諸外国への牽制・交渉を繰り広げ、民心をまとめながら国造りを推し進めたことだ。

これまでの絶対君主的プーチン、メドベージェフ双頭政権に対する評価は、混沌状態のロシアを安定化させ、BRICsの一翼を担うまでの経済成長を実現したことに対してだ。

しかし、12月4日の下院選でプーチン与党が大幅に議席を減らしたことは、ロシア人が時代にふさわしい新しいリーダーを求める転換期を迎えた結果だと私は見ている。

新しいリーダーとは、グローバルな視点から新しいロシアという国のあり方を模索し、民心をまとめながら国造りを推し進められるリーダーだ。プーチン、メドベージェフが、この時代の要請に応えられるか否かが、今問われている。

この原稿を書きながら気がついた。海外から見た日本の政治は鎖国時代に戻ったかのように見える。この30年間で、日本経済を支える大手企業の多くは、その主力市場を国内から海外へと大きくシフトした。日本国内の問題が、グローバルな視点からでないと解決できない時代なのだ。にもかかわらず、日本の政府・政治家が今のような内向き体質のままでは、誰が政権を取ろうとも、厳しい国際競争の中で日本が生き残っていくための国家経営は難しい、という結論しか見えない。

日本こそ、国際的なビジネスセンスを持つ新しいリーダーに国家経営を委ねざるを得ない時代の転換期を迎えている。皆様はどうお感じだろうか?

記事、コンテンツの筆者の意見は、RBTH(日本語版はロシアNOW)編集部の意見と一致しない場合がある。
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